おぺんぺん大学

ざーさんによる本の雑記たちとたまに創作

受苦と執着と墓碑 (中編小説)

 f:id:abc27kan:20231008080925j:image

 

 熱気が立ちこむ路地で猫はつぶれていた。

 シュウジはさっきまでくつろいでいた事務所のソファに封筒を置いてきたことを思い出した。猫は腹を切り拡げた絨毯のように伸びていた。ひらぺったい、毛にまみれた動物の皮膚が封筒を連想させたのではない。そばに落ちていたアイスの包装が目についたからだ。あついとつぶやく頭の毛の薄い中年が事務所の前の通りを横切った。A4ほどの茶封筒とファイルを抱いて、腕に手提げをかけていた。あついことはいやでもわかっている、とシュウジは心のうちに吐き棄てた。とたんにムッとした熱を帯びた隅風がシュウジの頬にぶつかった。全身を圧迫される浮遊感を覚えるこの暑さは汗をかくことでごまかしがきくものではない。

 年々この季節は気温が上がる。シュウジは子供のころ、NHKでやっていたディスカバリーチャンネルの特集かで、2055年には夏の気温が50度に達し、人々はエアコンのある室内にこもらざるを得ないという話を見た覚えがある。自分からすればまだ40年近くほど先のことかと思っていたが、半分の速さでその地点まで達しそうなことに嫌気がさした。退屈だった普通科の高校に通っていたころに読み漁ったSFの小説でたしか100度近い気温でLPレコードが熱で円柱のビニールの塊になる描写があった、シュウジは当時LPレコードがどういうものかなんとなくしか知らなかった。彼の父方の祖母が若いころ集めていたレコードを見せてもらったことがある、加山雄三だとか五木ひろしなど、かろうじて聞いたことのある名前から、当時の流行歌のドーナツ盤ばかりがタッパーのようなプラスチックのケースに重ねて入れられていた。叔父が祖母の誕生日に贈った中華製のラジオ付きのレコードプレイヤーに知らない時代の曲を載せてみると溝から音がよみがえった。

 祖母のコレクションはもうビニールの塊になっただろうか、後年シュウジはレコードを悪ふざけで買うことが何回かあった。電化製品街に出向いた先にナショナルのプレイヤーを中古で仕入れたのが事の発端だ。昭和の家電は平成生まれのシュウジからするとひどくおもちゃのように見えることがある。デザインの趣味のせいか、ターンテーブルに幼児の衣服にありそうな絵が描かれているからだろうか、彼の安アパートのなかで目を引くものとしていつまでも卓の上に鎮座する丸みを帯びた機械は彼を訪ねる人々が興味をひいた、出入りの激しく、彼を置いてきぼりに追憶のかなたを出入りする、彼らの一陣をシュウジは凋落し、侮蔑し、恨み、親しくした。その果てにやくざまがいの半端ものとして地方都市のまだ人口過密がある街で、銭をかき集めるような仕事ばかりして生活をやりくりしていた、街は猫の額ほどの狭いスナックやパブ、風俗店、居酒屋、バーが蜂の巣のように仲良く敷き詰められたビルが乱立していた。かつては活気があったが、昨今のはやり病が過ぎ去って見る影もない、あるのは空虚な場だけがまだしぶとく残っていた、旧時代の遺物をすする日々に逃れたシュウジはかつて異性を嘲弄して「マグロ」と称して好き勝手にたしなんだ享楽を享受できずにいる、時世の事柄か、否、ほとんど手痛い目に遭ったからで、彼を知る者はいい薬になっただろうとあざ笑うのだが、シュウジは自身に巻き起こるパラノイアに執着して世迷いごとを繰り返し、自らの身に起こる出来事を「世界の終わり」と打ちひしがれていた。

 彼が口なしになったころにあの流行病が始まったので、界隈ではシュウジは予言でもしていたのではないかと言うものが現れて、彼を信仰の対象とする団体も台頭した。その事務所にシュウジは出入りし、寝食を確保した。

 事務所では団体の理事長の秘書にあたる女が伸びているので、シュウジは外に一服しに出てきた。女は痙攣と嘔吐を繰り返し、白目をむいて崩れるように倒れたので、別の職員が何人かで応接間の奥にある仮眠用の長いソファに寝かされている。シュウジが事務所にいる間よくくつろぐソファである。そこにさきの封筒を置いてきた。

 猫は干からびているように見える。腐敗のかおりに羽虫が数匹舞っているようにシュウジは見えた。どんな生き物でも日陰にのけるであろう暑さだ。

 団体の理事長が拾ってくる人間はどいつもこいつもそろってなまけものばかりだ。自身の力に過信して落ちぶれたものか、早々に自らを裏切り、卑屈に世の中をなじる者ばかりだ。もっともシュウジもその一人であろうになにが因果あってこんな祀り上げられ方をしているのか、時々不快感を覚える。

 このいま伸びている女というのも、もう40後半だがガキの人形遊びのように自分が生んだ子だとぼろぼろの布切れの寄せ集めのような塊をいつも持っている女だ。まだ右も左もわからぬ歳に誰のものともわからぬ子種をぶち込まれたうえ、中絶を強いられて以後生むことのできなかった我が子をその小汚い布の塊だと思い込んでいまも生きている。変に人の言いなりになるというのか、愚直に人の言うことに疑いを持ち出すことのない者だ、シュウジは、オレはアンタのまたぐらからため息ついて出てきてやったんだぜ、と冗談をいうといつもこの女は喜んだ。術後の後遺症か、時々制御のできないほどの震えを彼女はきたす。

〈……若い癖にアンタは乾ききっている……ほかの連中は自分のことしか考えてないが、……アンタは、それさえどうでもよさそうじゃない……ねえ、……アンタは何が欲しいの……〉

 前歯が片方斜めに生えたこの愚直な女はそうシュウジにきく。シュウジはソファに這ってきたこの女の片足をつかんでひっくり返すと、何をみるでもなく、〈何もない……〉と答え、机に頭をぶつけたこの女の首をつかみ、起こした。〈……指を噛め〉と女の唇に四本流し込むと、入っていない親指ではさむ形で下あごをつかんだ、口中にある四本の指は舌の付け根を押し、女は嗚咽をあげた。

〈……噛め、噛めよ……〉

 女の喉奥がトイレの水洗に似た音をあげて、中身をかき混ぜ始めた、人差し指と小指の腹で、女の奥歯を撫でる。ぬめりのある凹凸の表面は彼女が歯を磨くことが下手なのか、無頓着なのか、そもそもまだ歯を磨いていないのか、〈……噛めよ、強く噛めよ、〉とシュウジは繰り返した、女の口のなかで血を流したい。

 この女はシュウジに占い師を紹介した。紹介するほど占い師に入り浸っている連中はきまってその占い師は当たるなどという。占いを頭ごなしに信じる奴は馬鹿だ、シュウジはそう思っている。この愚直な女は騙されている。

〈……理事長も同じことを言ってたわ、でもそう言ってすぐに食あたりに遭ってたわ、おかげで今は理解があるわ……〉

 きっとこの女が毒でも盛ったのだろう……シュウジはすぐに勘付いた。この女が憤りでそのような手の込んだことに奔るものではない、占いを侮辱するものがいればこうするようにおまじないの一つで教えられたのだろう、そして教えに忠実に彼女は従ったまで……そのうちこの得体のしれないホラ吹き師によってこの事務所は洗い流されてしまうだろう……次の日曜のお昼に、ちょっとした食事会……会合があるのよ、シュウちゃんも来なさいよ、女はそうなにやらA4ほどのチラシを差し出してきた。シュウジはこのチラシがコンビニで印刷されたであろうカラーコピーの類で、なおかつワードでそれらしくあしらった手製の文面に、どこかお遊戯会じみた感触を感じて拒否したくなった。やだね、と紙面を一瞥して突き返すと吸いさしの煙草に火をつけた。なおも突き出してくるチラシに、煙草の火を押し当てた。じわっとカラー面が膨らんで静かに崩れた……短い悲鳴を上げた……女は慌てて火のついたチラシを手放した。水、誰か水持ってきて! とわめいている……シュウジはこの女が気を損ねると気分がよくなった。こいつが布教活動を仕掛けてくるたびに俺は煙草の火で燃やしてやる、そうするとミミズがうごめくようにプリプリになって怒る……愉快だ。

 

 結果としてシュウジはこの会合に出るハメになった。はじめは事務員の何人かが彼を呼び出しの連絡がきた。そのいくつかはなにやら単純な呼び出しのような口ぶりから、シュウジへの懇願にも聞こえてくるものに回を重ねるごとに変化した。日曜だってのに何事かと要件も聞かないうちに電話口で断るとあのずぶずぶの女がわざわざボスから住所を聞き出したのか、町はずれの安アパートにまで迎えに来た。赤い見慣れないボンネットの長い外車が、空き地に面した穴ぼこだらけの生垣の向こうに見えた。柄にもなく縁側に出てみて日向ぼっこをしていたシュウジは見慣れた女が欠けた石の門角から顔を出したとき、自分でもわかるっほど青ざめた。吸いさしの積もった灰皿を石畳にぶちまけてしまったほどだ。

 会合には中年から還暦を迎えたという40から60の婦人が20人ほど集まり、駅ビルの最上階のレストランを半分ほど貸し切り、ビュッフェをたしなんでいた。会場に向かう前にスーツ店にボスと連れていかれ、ふさわしい格好というものに仕立てられたため、ネクタイとワイシャツの第一ボタンで首が締まるように苦しい。煙草も吸いたいが、あの女に没収されており、そもそも会場のビルが20階まるまる全館で禁煙であり、地上に戻り駅西側のタクシー乗り場の真ん中に設けられた動物の檻のような喫煙所にまでいかないと即巡回中の警備員等に注意もしくは罰金を言い渡されるというありさまだ……シュウジは何かを口にし続けることでこの年増の集まりに対してこれ以上の関係を持つことを控えた。おかげで普段よりも多くのアルコールが負債としてたまり続けて、端のほうで休憩している連中の卓に寄り掛かる形でつぶれた、似たようなありさまにいる会合のメムバーはいるはずはなく、年甲斐もなくキーキーわめく年増女の声音が頭の中を、螺旋を描いた刃物のようにぐるぐる回っていた。あらかたお開きに見えたところで会合のメムバーの何人かは帰ったが、7、8人程度がまだあの占い師の回りに集い、そのまま近くの高級ホテルへ3台もタクシーを借り出して向かった。もちろんあの信者である事務員の女のせいでシュウジも強制参加だった。気が付いたころにはボスはいない。聞けばメムバーのひとりを口説いて抜け出したらしかった。

 あらかじめこの部屋を予約していたらしい占い師はこの2次会の場で、瞑想の実習をすると言い出した。それも異様なありさまで、みながみな揃って着衣を脱いで、洗面室から入れてきたグラスの水を部屋中に撒き始めた。メムバーは全裸で直立し、部屋に用意された家具のようにたたずんでいるので、いやおうなくその水はかかる。何度も占い師は洗面室を往復し、やがて飽きたのか、サービスで並べられていたワインを注ぎ始め、同じように部屋にメムバーにかけ始めた。赤ワインが鮮血のように壁に飛び散ったが、だれも咎めるようなことは口にしない。やがて5本ほどあった瓶は空になり、今度はそれを壁にたたきつけた。破片の礫がメムバーのひとりの肌を切ったが、だれも悲鳴を上げない。シュウジはあきれて部屋を出ようとすると、ちょっとあんた、どこ行くのよ、トイレ? まさかトイレじゃないでしょうね! と掴みかかってきた。思わず委縮したシュウジは自分がこの女に対して本能的に恐怖していることを自分の強張った声に見出した。トイレだったらなんだ、シュウジは小さくなった声でそう言い返すと占い師はここでしなさい、と厳粛なカトリックの神父のような動きをして彼を床にたたきつけた。巨漢女たる腕力である。シュウジは理解できないまま、尿意がこれっぽっちもでないことになんの意味があるのだと、かたくなに拒む姿勢を顔で示した。すると占い師はシュウジのむき出しのペニスをもぎ取るようにつかみ、手にしていたグラスをその先端に押し当てた。ほら! するのよ! しなさい! いまここで! シュウジは部屋に並んでいるふてぶてしい顔をしたハムのような中年女のだらしのない体をみた……どれも欲情にそそられない。ぴくりともこのペニスは反応を示さなかった。腹が出ているのにたれもしない小ぶりな乳房……足を閉じていてもわかる伸びて垂れた外陰口……むさくるしくヘソの下まで逆三角地帯を塗りつぶした濃い陰毛……くしゃくしゃになって干からびた海藻のような髪……切り刻まれた皺……ぶくぶくの肝臓を太らされたアヒルのそれに似た脚……シュウジのペニスはますます委縮した。そして何よりこの占い師の手指が氷水に漬けたままのように冷たい。

 

 帰り道、シュウジは車にひかれかけた。いや、実際にはねられたのかもしれない。あの女の運転する車だろうか、事務所からでてしばらくしての出来事だった。宙に放り出された、背をひややかなものが過ぎた。接触した箇所は背中で、ボスがくれた背広が背筋に沿って縦に裂けていた。ボンネットの先端に突き出たエンブレムの類が引っかかったのか、地面への衝突で擦ったかして裂けたらしい。ほかに肘あたりも繊維が剥けてしまっている。チラシごときでこのような仕打ちを仕掛けてくる卑小さに腹が立った。地面に飛ばされた姿のまままるで寝返りを打つようにやたらにうごめいていても仕方ないので、気を落ち着かせようと胸ポケットに手を差し入れて煙草を取り出そうとしたがなじみのハイライトのソフトケースの感触はなく、裏地を撫でるのみで事務所に置いてきたのか帰路に落としたのか、とにかくなくなってしまっていた。マッチはと今度はズボンの右を探るといつかの喫茶店で拝借した薄い箱はひしゃげ、白の燐のついたひ弱な軸はどれも揃って折れてしまっていた。仕方なく身を起こすとあたりに接触した件の赤い車の影はなく、シュウジは身動きがとれぬ間にこちらの様子も見向きもせず駆け抜けていった運転手に憤りが抑えられない。街路にはひとっこ一人いない、シュウジだけである。買いなおすのも癪だと事務所に向けてきた道を戻るとぽつねんとハイライトの包みが、揉みつぶされる形で捨てられているのが見えた。あの女が車の中から投げつけたのだ、シュウジは直感した。拡げて取り出すと粉を散らしながら使い物にならなくなった煙草が一本、二本、三本、四本と手のうちからぽとぽととこぼれ、その中からまだ軸が保たれて少しねじれた一本が現れ、シュウジは大事にその一本だけ手にした。通りを抜け、駅の高架下に面したストリートに出ると近くで火の起こせそうなところを探した。最後の一本を咥え、手近の居酒屋の店先にある灰皿に近づいて、しばらく彼と同じように煙草を吸う者を待った。駅のほうから定期的に人が吐き出されて彼の前にも何人か通り過ぎていったが誰も火をつけるそぶりもしなければ、口先に煙草をくわえることもなかった。そうこうしていると背後の居酒屋が提灯を付けだした店員が店先に街路の様子をみに出てきた。シュウジを見て客と勘違いして威勢のいい声をかけたが、すぐに委縮したか顔をこわばらせた、シュウジは不思議がることもせず、火をくれと一言こぼした。居酒屋の店員はあんちゃんどうしたんだその血は、と鬼でも見た声を上げ、そのままの流れで傷の手当を始めたが、火はくれなかった。

 シュウジはこの晩あたらしい趣味をみつけた。火をくれた女は画家だった。

 包帯を乱雑にまかれ容貌のつぶされたに等しい彼を、彼女は一瞥して髪留めにしていた金属のような鉛筆の切っ先を凛と天に差して、似顔絵を描きたいと声をかけてきた。ほどけた髪は胸の下ほどまでになったが重さはないし癖もみられない。顔はないと答えると、私が新しく与えるのよ、といった。ずいぶん図が高いらしいとシュウジはこの女をはじめにらんだが、すぐに何もかも見透かそうとする眼力に視線をそらした。なんでそんなもの咥えているの? と煙草に目が向いたので火が欲しいというと、女はひゃひゃひゃと笑った。油絵をやるから火は厳禁だが、今日は一枚描きあがったから特別、と女は青っぽいジッポライターを取り出した。女はヒロイと名乗った。美大を卒業してからふらふらして生活してたまに絵を売っているらしい。宣伝用の広告ポスターのときであれば、富豪の趣味で現代版春画を描かされることもあるらしい。どんな画か見てみたい、これでも俺もカメラマンの端くれのようなものだ、シュウジはでまかせを交えて尋ねた。なに撮るのよ、カメラはいまないの? と聞き返してきた。女の肌の接写、化粧品の広告用のものとか、青年誌のグラビアだとか、それに似たもんさ、シュウジは言った。全部でまかせである。デジカメはおろか、インスタントカメラさえ構えたことはない。何世代も前の、充電がまともにたまらないスマホは写真を撮ろうとすると電源が落ちる。カメラなんて……金持ちの道楽だ……写してどうする……写真だけじゃない……油絵だってその最たるものだ……この女の家はかなり太いのだろう。芸大にも通い、卒業後ふらふらできる生活があるなんてどうせ堕落した富裕層に違いない、ヒロイは「からの箱の画を描いているときが一番わたしは楽しいの」

「どこでその絵が見れるんだい?」シュウジは煙をヒロイにかけるように吹いた。

「さあね」

「教えろよ」

「ええ~」

 ヒロイは油絵の跳んだワイドパンツのポケットから菓子の包みを取り出した。中から手製の煙草が出てきた。手巻きの煙草である。茶色い紙をくるくると何本も巻いているが、どこか市販品にはない武骨さがある。どうして菓子の包みに入れているのか、シュウジはそのおかしみに微笑した。

「ねえ、火、そこから頂戴よ」シュウジの指に挟まれた一本をみた。「そこから火が欲しいの」

 シュウジは彼女の咥えた紙巻の煙草に自分のを押し当てた。ヒロイは口をすぼめてその火を吸い上げた。煙をそれほど口中に吹き込んだようには思えないが細く開けた唇からたらたらと煙がでた。

「ねえ、呑みにいかない? わたし喉かわいちゃった」とぼやいている。

「飲めば君の作品、見れるのかい?」

「考えてもいいわ」

「わかった」

「喉乾いたわ」

「じゃあ行くか」

「ここはダメなの?」

「ここは、さっき世話になった」

「ああ、この包帯?」

「そう、これ」

「わたしも昔巻いてもらったことがある」

「車に轢かれたのかい?」

「ううん、手と足に釘を刺したの」

「へえ、なんだよそれ」

「釘は刺すもの」女はふやけた笑顔をした、目を細めた。「あなたは轢かれたの?」

「まあそんなところ」

「背中裂けてるもんね」

「裂けているのかア」

「ええ、血は出てないけど、袈裟というの? そういう風に」

「なあ、もしかしてなんだけど」

「うん」

「あの会にいた?」

「え~なにそれ」

「あのさ、あっちの駅ビルのレストランでさ、やたらでかいレストラン」

「どうでしょうね」

「え、いなかった?」

「そうやって、いつもおんなのこに話しかけるの?」

「いや、でもなんか見覚えがないわけではないもんだから」

「え? どうしたん、話きこうか?(笑)」

「どうしたん話きこうか(笑)」

「え、いなかったって言ったらどうする?」

「まあ、だよな」

「だったら、なに?」

「いやあ、でもなあ」

「何、話合わせたほうがいいわけ?」

「いやあ」

「え?」

「別に」

「あのね」

「はい」

「クラブですれ違った、一目ぼれした子と間違えているって設定?」

「いや、違う」

「じゃあなに」

「いや、いるはずがない、君若いだろ」

「失礼しちゃう、こう見えてもう30手前よ」

「逆じゃね? まだ若いだろ」

「そんなことないよ」

「その会合、ババアしかいなかったんだよ」

「よっぽど失礼しちゃう」

「そうだな」

「そうよ」

「そうだ」

「で、なんで私がいると思ったの?」

「会場で見た気がしたんだ」

「ええ、あなたのいた団体さんを」

「うん」

「遠目でね」

「うん」

「みてたア」

「みてたアのかア」

「そのアはなに? 年上を馬鹿にしてるの」

「いや」

「あなた何歳」

「20」

「ウソ、わかい」

「今年で21」

「誕生日いつ」

「6月19日」

「じゃあ私と星座の相性いいよ」

「占いは信じてないよ」

「6月19日ってかに座じゃないよね」

「いや、ふたご座だった気がする」

「じゃあ相性いいよ」

「相性って何」

「なにって、ただの欺瞞だよ」

「そうなんだ」

「だいたいがどっちか無理してるの知られてない」

「ふうん」

「きみ、今無理してる?」

「この意味ではしていない」

「なにそのキショイいいかた」

「だって頭血まみれだし、背中袈裟に裂けてるし」

「背中って袈裟っていうのかな」

「知らないよ、そっちが言ったんじゃないか」

「ねえ、名前何?」

「顔描く話どうなった?」

「どうなったんだっけ」

 ヒロイはポケットからスルスルとながい紙を拡げた。みればレシートのロール紙らしい。実際に茶色の厚紙のロール芯がついていた。なぜそんなものを持っているのかわからない。

「ペンある?」ヒロイはそう上目使いでシュウジをみた。

「鉛筆あんじゃん」シュウジは指をさした。

「ああ、そうじゃん」ヒロイは金属質な鉛筆を後頭部に手をやり取り出そうとした。だがさっき見せびらかしてから髪はほどけていて、ない。「あれ? なに? わたし、落とした?」ポケットを探り始めた。つぎつぎに物がぼろぼろ落ちてきた。煙草の包み、猫の置物、棒付きの飴、プロマイド、ジッポライター、ヤッターマン1号のフィギア、文庫本、化粧ポーチ、証明写真、魚の定期券入れ、図書カード、知らない男の免許証、レシート……シュウジはさっきまで彼女が手にしていた、たたまれていたレシートをはじめ、いくつもの落とし物を拾い集めた。ポケットをまさぐってはつぎつぎに落としていくヒロイは道端をぐるぐる回った。シュウジはそれに連なって拾い続けた。エコバックが落ちたときはしめたとそれまで両手一杯になったそれらをまとめることができた。この女は鞄を持たないのか? あっけにとられているとヒロイの身なりは二回りほどスリムになっていた。

 

 シュウジはあくる日、占いの件で悶着した者と別の事務員に電機屋に同行するよう頼み、経費で機材を購入させた。平日の昼間に駅近くのビッグカメラに足を運ぶ連中はどこか所在なさげな小太りな中年男か、定年後になりふり構わず何年も着古したような時代遅れの服を着た熟年夫婦の類だった。その中で大学生くらいの息子を連れた親御という組み合わせに完全に勘違いされて接客をされたシュウジは恥ずかしさで顔を赤らめるのでなく、居心地悪く委縮するのではなく、わざとらしいまでに噴き出してしまった。事務員の女のほうは、困惑と愛想笑いでまあそんなところですとごまかした。シュウジはそのよそよそしさというか、事態に不慣れなこの缶詰め事務員をあざけるためにまだ笑い続けた。ますます苦い顔になる事務員の女をよそめに最新のカメラの棚を物色した。比較的造りのしっかりとした9、10万円ほどするカメラを事務員が持ち出した会社のクレジットカードで購入して事務所には戻らず、地下街の煙草の煙で天井が見えない喫茶店で遅い昼食を摂った。事務員はむせながらも朝を抜いてきたのでとやたら食べた。シュウジはコーヒーを頼み、会計機のそばに並んでいる煙草からハイライトを買ってそのうち半分を女が食べ終えるまで向かいで吸い続けた。女は一息をつくとどうして急にカメラなんか買ったわけなんですか、と手を拭いて尋ねた。商売を思いついた、とシュウジは短く答えた。もうチャコールフィルターだけになった終わりに達しつつある煙草の先を目の前になるように向きを変えて片手で包みの飽いている方を下にして、テーブルに出てきた次の一本を加えて、先同士軽く押し当てて空気を吸った。もうこのつなぎ方でずっと吸っている、シュウジはこの反復を遊戯の感覚で行っていた。舌の感覚は怪しくなっていた。しばしば女の食事の姿をみていて性的に興奮する輩がいるという話を事務所に依頼をしに来る中華料理店のオーナーが口にするがいまだシュウジはこの観点を理解できない、この女もそそられる食事はとらなかった。食事をしていても生殖に飢えているオスのサガはじつに無様だ、そんな遺伝子に子孫を残す必要は課されないのではないだろうか。一枚、この女がぱさぱさの分厚いサンドイッチをほおばる顔を接写してみても良かったかもしれない。凝視すればどうだろう、もうこの女がどういう顔で食事していたか覚えていない、印象に残らなかったのだ、写真を撮るという動作は印象を切り取るためのものという固定概念を捨てるべきだろうか、もしかしたらそうした印象に残らない場面を切り取るべきなのか、印象に残らないものを残すべきものに、シャッターは固着するために必要な動作なのだ、まだサンドイッチ食べられるか、シュウジはざらざらした口ぶりできいた。もう入らないわ、食べたいの? 食べれないという先からメニューに手を伸ばすのは年若のシュウジに気を遣っている事務員の事務員的な態度である、誰であろうと均一の動作をするだろう、そのシステマティックな動作に離れたさっきの親御に勘違いされたときの取り乱し方は人間味があって面白い、いや、食べている姿を写真に撮りたい、シュウジはニコニコしてそう言ってみた。営業スマイルというのをボスから習ったものだ。事務所に戻るとボスが3人がけの来客用のソファに仰向けに広がって口を開けて昼寝をしていた。もうあのソファで寝るのは止そうとシュウジは目を細めた。デスクでキーボードを叩いている事務員に紙袋から取り出した領収書を手渡し、請求用紙を渡されてペンを借りて彼のデスクを少し借りてでたらめな理由を書いた。起き上がってきたボスになにを買ってきたんだと聞かれ、もぐりの仕事に必要なんです、と適当に答えた。真面目に聞こえたのか仕事熱心なことはいいこと、と肩をつままれた。肩を叩けばいいところをこうしてつまんだり、部下の信教を体験に行ったり、挙動がおかしい。シュウジはそう思っていた。こちらの警戒を解く彼なりの手立てなのだろうが非常に不快だ。潜入ならうってつけの仕事がある。長野の山奥にある工場跡地にある団体の施設に乗り込んでほしい。ボスは近所のコンビニにおつかいを頼むような柔らかな口ぶりで話を始めた。某大手食品会社の下請け工場でまあ製粉系なんだケド、何でそんな山奥に誘致したのか、どうも研究施設も兼ねていたらしいんだよね、その団体の後援にその会社が絡んでいたのか、その会社の株を団体が多く買っていたのか、どっちにしろ営利関係にあったらしいんだよね、研究と工場の設備が海外に移されるようになって、団体に売却されたらしいんだ。海外で作る方が安くなった分野ではない気もするんだけどね、とまあここまで語った事柄は噂や憶測の範疇にあるから真に受けないように、ともあれこの施設でいま違法薬物っていうの、認可が下りていない、用途不明の粉が製造されているって話なんだよ、この依頼自体、某都市伝説系のライターが話を持ち出してきたものだそ、だいたい興信所もどきのうちが手を出すにはちと現実味が欠けるというか、まあ休暇代わりにでも長野に行ってきていいからちょっと調べてきてくんないかな。シュウジはボスの話のおよそ聞いていなかった、どうでもよかったからだ。なあどうなんだよ、ボスはシュウジの肩をまた揉みこんだ。腕をぐるんぐるん振り払うとおれは小麦アレルギーなんだと出まかせを吐いた。嘘つけ、柳市場の屋台でラーメン食ったじゃねえかお前……とののしった。それもそうだ、そのカメラで証拠写真になりそうなものバシバシ撮ってきてその胡散臭いライターに高値で売り付けてやろうぜ、撮るなら小型な方がいいだろ、ほら、これでボールペンに埋め込むくらいのカメラ、買って来いよ。シュウジは反応を魅せず受け取った札一枚で崩したハイライトの中身を巻いて火をつけて吸った。そのぐらいどうでもよかったのだ。万札の燃える味はまずかった、資本主義の臭いだ。

 

 夕方すぎに事務所をでて近所のスーパーに向かう主婦の隊列を横目に繁華街に出た。夜の商売を始める連中が多く住む古い木造アパートがあって、その一階に住む小学生の子供を一人育てている風俗嬢がいて、シュウジは訪ねた。ドアを軽く二度蹴ると顔見知りの口がきけない息子が無言で顔を出してきて中へ招く。湿気を含んだ、もしくは明らかに黴の生えた部屋の臭いをあしらうように土足で上がると力の抜けた垂れ目の背の低い女が居間で洗濯ものをたたんでいた。とても洗った後のものとは思えない。ジャニーズグループのポスターが神坐のように飾られた壁にそり立つように積みあがったCDとDVDのパッケージ、そしてみすぼらしい木箱であしらったような子供の勉強机があった。シュウジは週に3度かこの子供の勉強を教えに来ていた。報酬はボスから払われていた。報酬はときたま商売柄のサービスかこの女からの半ば強引に強要にとり行われる他人による手淫が行われることもあった。ボスのちょっとした善行に巻き込まれているのだろうか、あまり乗り気がしなかったがこの息子の不器用さが興味深く、またこの女親が息子の見えるところで平気で男の性器を握って見せる光景が奇妙で面白がっている節があった。一日中いることもあるし、息子が小学校に言っている間この女は執拗に身を寄せてくるので相手をして始めるとなかなか着地点のつかめない性戯が始まり、息子が帰ってくる前にどちらかが午睡に入れば癇癪を起すことはない。女はヒステリックに首に噛み付き、爪を立てたり、足蹴にしてしまうこともあるし、シュウジが髪を引っ張り、拳でかるく頭をこづくこともあるし、酷くなればシュウジも腹に蹴りを入れてうづくまって動きが悪くなったところで、身ぐるみをはいで手籠めにすることもあった。口からも目からも鼻からも汁を出してうつぶせに床へ押し付ける線の細い背中を片膝で押さえて、何度か叩いた尻をつかみバタバタ暴れる脚に延長コードで巻いて縛りあげて窓のレバーにひっかける。エビぞりになった女の身はいったん離れたシュウジにはだけた肉の薄い乳房を見せつけるように身をひるがえして血走った目で見つめる。自分の行いを顧みろ、懺悔せよ、そう語りかけるためににらんでいる。シュウジは自分の頬をつまんで、おなじことをこの女にする。熱帯魚のような顔になった女に唾をかける。この女の目をシュウジは凝視するのが好きだった。午睡に沈む女の陰部にペニスを挿入してみることもあった。潤いの問題もなく、擦れば汁が滴った。膣内のぬかるみと微熱じみた感覚が気持ち悪く、しかし膣内に居座るうちに激辛のものを時々摂りたくなるような中毒性がある。風邪をうつされたように、膣内の体温が伝導していき射精の予感に導かれ、反復するものとして機械的に動きを鬱々と繰り返しているうちに女はすでに寝覚めを起こしており、つぶれたような音を上げて反動に流されるままに体を揺らされていく。人形だ、シュウジはこの変な音のする穴のある人形になっていく女がある段階で性器そのもの同士になって破裂するまでの高みが、認識として近づいたり遠ざかるのが性の持ち得る問題だとして嫌悪する反面、こうして目先に出来事の当事者として、つまりは性器の化身として律動に身を持ち出されている状況に感銘していた。

水死体の話ばかりをこの女はする。

息子の父親が浴槽で溺死したのだ。いまでも湯を張らないらしい。いつも体が強張っていた。膝を折りまげて縮こまるように体操座りになると岩石のように硬い。とても女体のそれでは思えなかった。

隣の住人に覗かれているとこの女は思い込んでいる。事実、シュウジはしばしば壁に空いた穴の先のつぶらな眼によく視線が合った。恥じらうことなく凝視し続けるその目には非常時のようなものを感じ取ったが、ある暮れに日の入らない打ちっぱなしのコンクリート壁が目の前にそそり立つ玄関に面した通路で煙草を吸っていると小さな車椅子を引いた細長い老婆が横切ってきた。赤子のように頭が膨れ上がったこどものような顔をした人間を載せていた。ほとんど頭部のみ体で、ディフォルメされたストラップのキャラクターに近い図体だが、左手の中指だけ異常に長くなっており、6つほど関節があるように見えた。指をとぐろのように巻いて見せてはぴんとのばそうとして逸らせたりしていた。その人間の目はあの穴から見るものによく似ていた。

 

占い師の会合に行けば、またあの画家の女に遭えるだろうか。シュウジはその考えにとらわれ始めていた。連絡先を交換したかもう覚えていなかった。何晩も夢に出てくるうちに事実と虚構が混ざり、女との間に実際、どんな交歓が行われたのか判別ができなくなっていた。事務員のひとりが卸してきた仕事でマイナーな化粧品メーカーのグラビアを撮ることがあって本格的にこの混ざりは濃くなった。自分はカメラマンなのだ、カメラマンだったのだ、ならあの画家の写真のひとつは撮っておけばよかった。ボスは学生時代に寝た女との情事の前の野暮な写真を撮っては収拾していたという反応に困る話をしてきたこともあった。そのうちヤケになっていろんなサロンに参加した。事務所の経費を乱用したが誰もが勉強熱心だと咎める意見は出なかった。例の占い師の会合ではタロット講義がしばらく続いた。内容としてはタロットで宇宙を観測する望遠鏡とするメカニズムについてで、たびたびあのボロアパートの女との躁鬱とした行為からなる睡魔に負けてしまったものだが、出席前にチェーンスモークをすることで頭も腹も痛くなって意識を保ったまま出席できた。ひどく退屈な教典の朗読で、ほかの受講者が寝落ちしていないのを不思議に思ったが、コーヒーを常備しているもの、不織物マスクの中で飴をなめ続けるもの、わざとらしいいほどまでに相槌をうつもの、思い思いこの苦難をそれぞれが挑んでいるらしかった。しかし誰もが会費を払っておいて寝る人は意識が低い、やめちまえばいいという意見のものが大多数で、シュウジ以外にもうつらうつらする婦人がいればクスクスと笑う声が講義中でも起こった。

講義のあとの茶会が始まって間もなく、参加者全員が気づくほどのちいさな地震があった。婦人の何人かが不安そうに占い師の話にただ耳を傾けていた。占い師はシュウジがまだ10歳にも満たないころに東北であった震災の話を引き合いにして語り始めた。嫌な予感というものか偶然だ。離れた土地から、しかしそこでさえ船酔いのような立ち眩みがありありと身体が覚えていた、シュウジには離れた土地から、見ていた、見ることにされた、見せられた、見なくてはならないわけではなかったが、見るも、見ないも選択できただろうが、いずれ自分の目にも向かってくる現実を、見ていた、見ていた、克明に際限なく洪水のように日常になだれ込んでくる映像をただただ見ていた日々と、警告と、予告と、苦悩と、焦りと、恐怖と、芯と、寄る辺ないこの大地と、いなくなることと、死と、冬と、海と、春と、瓦礫と、船と、家屋と、雨と、雪と、慰霊と、爆発と、自粛と、混迷と、飢餓と、プライバシーと、眠りと、癒しと、神経と、樋と、道と、町と、車と、土砂と、基礎と、屋根と、瓦と、雲と、松と、海水と、ギターと、轟音と、地響きと、水死体と、暗闇と、病と、モラルと、純潔と、理性と、暴力と、覆い隠す力と、欺瞞と、無理解と、無関心と、空虚と、鮮明と、フラッシュバックと、肉親と、行方不明と、財産と、土地と、砂と、石と、風邪と、振動と、土と、鳥肌と、血潮と、鉄骨と、荒れたアスファルトと、下着と、泥と、壊されたATMと、むき出しの根と、遺体と、人と、体育館と、物資と、自衛隊と、炊き出しと、余震と、夜泣きと、おむつと、トイレと、ビニール袋と、冷たさと、毛布と、暖房と、金と、ハンマーと、海と、鳥と、カラスと、魚と、ブロック塀と、夜と、木片と、日向と、やつれた顔と、細い目と、力のない目と、水と、つめたい水と、炊飯器、箸と、感染症と、視線と、グランドと、浜と、堤防と、体育館と、仮設住宅と、物資と……シュウジには、追体験の産物……体験していないからこそ……欺瞞の想像の中でしかその荒廃を描けない……ながく……おそろしく長く震えた地面の……あの信頼できなさ……シュウジは肌で……筋肉ではなく、……していない。あの遠くから響いてくる……ながい、……ながい振り子のような眩暈だけ……身体にはある。

熊本であった地震に被災したことがある参加者のひとりが発作のように過呼吸になっているのを、語り続けている占い師が見かねて、話を区切った。シュウジにはすべて偽善と演出に見えた。この女はこうしてでっち上げを行う最中に心のうちでこのように笑っているのだ……ぞひひひひひひひ……なにかの前触れであるということを何とかの法則というガキの妄想じみたことを言いながら信者どもをおののかせているのをシュウジは馬鹿らしい、偶然だけがあるだけだ、と吐き棄てた。目の細い小太りの背の低い婦人がシュウジをにらんだ。なんだ、家畜、姦婦が、口が利けるなら文句の一つや二つそのみすぼらしいマスクで隠したこぎたない口で飛ばしてみろよ、シュウジは挑発した。婦人は睨むだけだった。占い師はなだめることもしないし、ほかの信者もシュウジを見ることはない。まるで相手にしたら教えを破ることになるのか、あるいはこうした卑小なものに目を向けるほど私たちは落ちぶれていないとでもいうかのようだ。シュウジはこの習い事の状況がすこぶる気に入った。会が終わるとそれほど良い顔をしない連れの事務の女にほかのものも受講させろよ、絵画教室とかさ、と頼みこんだ。わかったわ、手あたり次第用意しておくわ、事務員はこの口ぶりには似合わないほどに淡々と、まさしく事務的にそう答えた。シュウジは実際、退屈だった。すこぶる退屈だった。あの女が、ヒロイがいなかったからだ。

 

園芸教室、彫刻教室、生け花、短歌会、俳句、茶道、料理教室、書道、ドローイング、パソコン教室、手芸、機械工作、ロープアート、釣り、エアロビ、ダンス、英会話、天体観測、バードウォッチング、逆立ち、子育て、カメラ、写生大会、そして絵画教室、いずれもヒロイという画家の女の姿は現れなかった、いるはずがなかった。事務員に尋ねてヒロイという苗字の芸術家はいないか、プロアマ問わず、どこかのアトリエに所属していないか、ギャラリーで展示など開いたことがないか、探してもらった。絵画コンテストの年鑑を図書館なり協賛団体なりへ訪ねて洗い出した。見つからなかった。占い師の例のサロンにいたという不確かな話ではあるが、ヒロイと話した人物がいないか、あのホテルの食事会で居合わせた団体や名簿にあたれるように接近したりもした。個人情報なので開示は断られてしまったが、名前を出すよりも彼女の作品が見たいと言えば何かしらの手引きが取れると考えていたが、あまりにもその団体は彼に不親切に、これ以上の詮索は警察に突き出すなどという突っぱねられようでどうにもならなかった。そうこうしているうちに今までにないほどのない分野の人間とは知り合うことにはなったが発展を特には求めなかったためその場その場の限りで関係は事切れた。シュウジがあの女に向けてカメラマンを詐称したように案外あの女も画家を詐称したのかもしれない、そう思う頃にはシュウジは実際にカメラマンの端くれのようなものになり始めていた。女の肌を接写する仕事から始まった。ボスが実態の掴めないネット記事を専門とする三流の広告代理店から特に効力のない紛い物のスキンケア系の化粧品のバナーに使う写真だった。くすみやシミの浮き出た加齢の女性の肌を事細かく観察して、広告としてインパクトのある撮り方をシュウジは見よう見まねであるが撮影した。アダルト系のサイトや5ちゃんねる掲示板の帯状の広告になって流れている出会い系サイトのバナーや、そうした出会い系サイトの体験談を謳った記事のために事務員の、例の中年女性のストッキング越しの太ももの肉を何枚も何枚も撮影したこともあった。二本の太ももが画面いっぱいに横たわり、その狭間に深い暗闇があるように写したり、何時間も正座させたあとの膝の裏の肉と皮膚の重なりの痕、剃刀を肉に当てがえたもの、あるいはラブホテルに赴き、安い部屋でアマチュアの人間が携帯のカメラで盗撮したような荒い性欲が垂れる写真も撮った。辛辣な態度をお互いがする割にはこうした撮影を面白がっているきらいがあり、どういったポーズをすれば生々しいものになるのか趣向を凝らした。普通なこういう記事を作る場合、デリヘル嬢を雇うのと、はなからデリヘル業者に委託する場合が多いとのことだが、どうしてボスはこの仕事を勝ち取ってきたのか、どうやって勝ち取ったのか分からなかった。この中年の女もまんざらでもないようだったが、シャッターが切られるたびに肌が少し硬直し、済めばあきらかに弛緩した肉の機微をシュウジは興味を示した。この弛緩した瞬間を収められないか、この女から緊張をとるにはどうしたらいいか、洗面所からタオルをひいてきたらどうか、女の目を隠した。女は余計に得体の知れない視線と予知できぬ触覚の存在に体をこわばらせるだろう。なら一度緊張の頂上にまで引き上げて果ててからはどうだろうか、写真に収めることのできる絵がもう事後の絵だけになってしまう。難しい、この女は緊張のいくつかはある。言葉のうちうちにはとても緊張はない、身体は緊迫を覚えているのだ、それはシュウジを相手とっているからだろうか。

シュウジは眠る女を撮る仕事がきたとき、この中年モデルと化した事務員に断られた。カメラを向けられたまま寝れるはずがないわ。それもそうだとシュウジは眠り続ける女を探す必要ができた。前に喫茶店で隣に座って知り合った自称90歳の元市民病院院長に問い合わせて、いわゆる植物状態になっている人間を観察したいと頼むと気味が悪そうに少し口を濁らせつつも県大の附属病院にいる教え子の一人が見てもいいとのことで紹介してもらった。許可が下りるのも親族がいれば何かと面倒だが、母、弟の三人で出かけた高速道路での交通事故で、一人だけ生き残ってしまった患者だという。単身赴任で東京に飛ばされていた父親しか肉親はもう残っていない。とはいえ顔面は抉られて残っておらず埋め合わせで白々しいほど何重にも巻かれた包帯が化膿した組織液を吸い続け、何本ものチューブがその狭間から差し込まれた痛々しい容貌の、片腕の欠けた人間の身体が無機質で殺風景な病室に寝かされていた。シーツを剥いて足を見てもいいかと付き添いの看護師に聞くとあからさまに良くない顔をしてきたが構わず退けてみた。扱われなくなった栄養も大して送られていないからかか細い筋肉の削げた白い足が顔を出した。触れると弾力はなく、奥の方の細胞が沈み込んで潰れていくようだった。押し当てた指もろともシュウジはフィルムに収めた。画家の女は現れなかった。

病院で看護師見習いの、自分と同じくらいの歳の人間とシュウジは知り合った。ひとりは父親が入院したとき付き添ってくれた看護師に憧れてこの道にはいったという者、テキパキと真剣に働いていた。もうひとりは親の教育のもと気づけば看護の道にいたといった呑気な人だった。志がなければできない仕事であろうに、とシュウジは関心と敬意の眼差しで彼らをみていた。例の植物状態の患者の唯一の親族と一度、食堂で話をしたこともあった。家族をほとんど失い、娘をあんな目にしたのは自分が単身東京へ左遷されてしまったためだと自らを呪っているようだった。かれはいくつかの取引先との些細なイザコザの類から辞令が下ったのだという。自分の不注意で始まったそれらが、結果的に娘をあんな有様にしたと悔やんでいる。シュウジは胸を痛めたような顔をしたがほとんど肉付きのもはやない生足を撮影したことは口にすることは控えた。仮に冗談として言ってしまったとしても不謹慎であることは明白だ。シュウジは自分のそうした冷静な目で物事を積み立てて考えている自分を気味悪がった。その冷静さにはどこか、その控えた発言をしてみたいという欲求が強くあったのだろう。それだけがどこか、張り合いのない気持ちだ。それに、写真に収めることへの拒絶感が画面にまったくもって現れてはこない、物質、無機質な物体に過ぎないものを撮ることは死を写すよりも退屈かもしれない、散りゆく華を少しずつシャッターで捉えるように人がじわじわ死に向かいゆく様を撮ることができたらどれほど面白いだろうか、面白がることができるのだろうか、画家の女はその日も現れなかった。シュウジが病院を出入りするようになって病院側から撮影を頼まれることが増えた。本当にカメラマンとして自分を認識している人間が何人もできた。所作を見れば明らかなのに不思議な話だった。植物状態の者が眠る病室に行く途中の四人部屋の患者はすぐ顔馴染みになった。快方へ向かう者、死を覚悟した者が日々をとらえておきたいと執着するさま、そして単純にシュウジという病院を出入りするカメラを持った若い男に興味を抱く者、そうしたら患者や看護師が彼と親しく話し、その最中に自然な姿でシャッターを切ってもらうように彼らはなった。画家の女はそれでも現れなかった画家の女は現れなかった。画家の女は現れない。現れなかった。もう死んでしまったかもしれない、ほら、やはり現れない。シュウジはそう考えるようになった。自分の見える範囲をはずれた他人はもう死んだも同然だ、シュウジの前からどこへ何人いなくなっていったらだろうか、そのいずれよりもこの画家の女はおぼつかなかった、もう顔も浮かばないので、もしかしたら見つけようがないのだ……苗字を聴いていた気がするがもうどうでもよくなってきている。彼女が著名な芸術家になってメディアに現れるようになったら自分は思い出せるだろうか、シュウジは考えた。

 

シュウジは山奥にある例の工場へ潜る仕事を断って反対に海の方へ出かけた。岸辺に沿った電車の片道切符を片手に浜が延々並び漁港が顔を出す景色を眺めた。気に入った駅でシュウジは降りた。各駅停車の集客は地元民ばかりで自分のような余所者はひどく目立った。荷物はカメラと替えの下着を詰めただけのちいさな鞄のみで、しかも例の病院に行く時のカメラではなく駅の売店で買った使い捨てのフィルムカメラだった。この海辺の町でシュウジは一週間滞在した。つげ義春だったか、旅館の女将と寝てしまう放浪者の話を漫画で読んでいたのでよからぬ期待をしていたが若旦那と大将のような大女将といった組み合わせばかりで、期待に沿うようなことはなかった。唯一、若女将がいる宿がひとつ砂浜と浜の舗装された道路に挟まる形であって、シュウジは泊まりたがったが、集客がそのためにすこぶる振るうのか空きの扱いがなかった。徹夜して退屈しのぎに買った竿で釣りをつづけた。一匹たりとて魚は釣れやしなかった。

港町には漁船がいくつも並んでいて猫や海鳥がおこぼれを狙っていた。荒れる海の男たちがたむろする食堂に朝食を取ろうとすると白い目をされた。素泊まりを後悔したが大女将がこちらの顔色を伺いながら食事の話をするのが気になって、おまけに仕事以外に噴き上がる倹約癖(もっとも旅先にのみやたらと発揮される)がたちどころにあらわれて飯抜きにして泊まったものだが、こんな街でダラダラ過ごしても仕方がない。

シュウジは波打ち際を何枚かフィルムに収めた。カモメや鷹も収めた。潮のあてつけられた塀から顔を出した漁師の家々や、旅館の立ち並ぶ集落の隅から坂が始まり、木々が茂り、崖に続いていた。シュウジは登って行った、磯の香りが和らいだ、さざなみがずっと耳の奥で響いている。木は細く、幾つも蔓を上へ下へ這わせている。切り立った崖は剥き出しはの岩盤が土道を砂利道へ変貌させた。崖に灯台があるのかと見渡したが、コンクリートの塊が、土台基礎の名残だろうか岩盤にこびりついているだけである。記念碑のようにも見えた。墓跡かも知れない。シュウジは昔知り合った人間に、遺灰は海に撒くよう頼んできた男がいたらしい。当時シュウジが付き合っていた女の父親だった。彼女と知り合う頃にはもう故人であったが、死体遺棄やらで法律が絡むものだから随分とややこしい手続きを踏むらしい、数年経ってようやく北海道の紋別市からオホーツク海へ撒いたという。シュウジは興味がなかったからそれ以上のことを特段詳しく訊かなかったが、今思えば、意向に沿うまで遺族のあいだで葛藤のようなものはあったのだろうか。その父親は精神を患って病んだのだったか、重い不治の病だったか、実際彼女からどういう内容を話を訊かされたのか、似た境遇の映画を以前見たのでシュウジの中で混ざってしまっていた。もちろんそのタイトルも忘れてしまったし、その恋人だった女の名前も顔も体つきも忘れてしまった。高台から波打ち際を見ると自然と両足がすくみ上がった。シュウジは意識し難いが身体は恐怖に素直だった。タバコを二本吸い、少し淵から内側のところへ座した。誰も現れなかった。土台跡のコンクリートへ吸い殻を押し付けてもみ消した。痕跡を残してはならないだろうからどうしたものかと思案したが淵へめがけて放れば何やらあとでしっぺ返しが来るように思えてきて旅館へ戻り、入り口の台の灰皿へ棄てた。それまでずっと吸い殻を手にしていたから手洗いに立つと若旦那と出くわした。もうチェックアウトなる時間らしいことを告げられ、おもむろに延泊を頼んだ。次の予約が入ってるかで同じ部屋に泊まることができないというので、次の間のない六畳の狭い部屋ならある、宿代も普通の半分にするという交渉の末、もう数日ここへ居座ることにした。部屋に上がると少ない荷物が追従してきて、茶を一、二杯とあがった。湯の用意を考えていたがうとうととして広げられていない布団の束へ倒れ込んでしまった。昼寝をして午後を過ごした。

湯を出ると腹が減るかと考えていたが一向に変わらなかった。タバコを続けて吸うとズクズクと頭が痛んだ。少し横になると退屈になるから従業員を呼んで話し相手になってもらった。配膳やら慌ただしくなると少し愛想笑いをして離れて行った。素泊まりで居る身であるから宿を出て当てもなく漁港の街をふらふらと出てみたがどうも食欲は立ち現れてこない。そうこうしているうちに夜が更けてきた。部屋に戻ってみても昼寝のせいでどうも寝付けれない。便所に何度も立つので風呂でもう一度温まりに行く。戻って寝ようとしても睡魔に駆られることはなく、怠い体を横たえたまま何もできなくなっていた。ごろごろしていると隣の客間から湿った男女の会話が聞こえてきた。会話というよりかは男女が何か音声を出しているというきらいがある。内容はそもそも聞き取れない、人間が発する純粋な音のようだ。興味を抱けない、何か耳に入ると言った具合だ。布団を敷き始める音がして、艶かしいやりとりが始まるかと思ったが布の擦る音と横たわる音が止むと、相変わらず露っぽい声が意味も聞き取れずつづき、そしてそれも潰えた。

ようやく眠れたところで枕元に女が化けてでた。あの女らしい。ようやく会えた、シュウジは直感した。枕元に直立する影は彼女で違いないと思えた、思えたのだ。あまりにも静かなのでどうしてここがわかったのかとシュウジはきいた。影は黙ったままだった。どうした、口が聞けなくなったのか、何か喋れ、声は聞こえない、音さえ発しない、影は窓側の座椅子にも、座敷にもいた。これもきみかと訊ねたが何も答えない。

どうした、いじわるはよせよ、シュウジはそう言った。寝言のようなまとまりのない声音だ。誰も彼に返事をする者がいなかった。そうこうしているうちにまた眠った。眠っていた。何度も思い返せば、シュウジシュウジ。鈴虫が鳴いている、そいつは化けてでて、シュウジに問いかけよ、その言葉は聞こえるのか、私だってそうなのよ。そう口にしているのが聞こえた。

 

港町から離れて各駅停車で一日かけて元いた街に戻ったシュウジは使い捨てカメラの現像をするために方々カメラ屋を探し回った。家電屋に行けばいいという、あの根城にしている事務所でボスに言われたが足が向かなかった。なにかと電気屋の店員があまり好きではなくなっていたからだ。日がな一日、画本やら日活映画やら写真集やらを眺めながら手持ち無沙汰にタバコを吸う日々が続いた。通り雨が過ぎると買い出しにしばしば出かけた。街のスーパーのレジ打ちをしているパートの女と知り合った。食品を買いながら近所の町中華へその女とよく入った。彼女はカマクラという名札をしていた。何でそうなったか覚えてはいないがとにかく落ち込んで塞ぎ込んだ状態でスーパーにたまたま出かけた時、昔歴史の授業で、イイクニツクロウ鎌倉幕府と覚えた、だから君を鎌倉幕府と呼んでも良いかと冗談を言ったのが知り合ったきっかけだった。シュウジよりもっと若い世代はもうその年号で覚えないらしい。もっとも小さい頃から家の外で知り合う人間にはカマクラちゃんとは呼ばれるものの大体がこの年号の話題を切り出されてもう飽きているというようなことを営業スマイルでこの子は答えた。ならナンバー1192と呼んでやろうと趣向を変えたことを言ってやったがあまり良い反応をしなかった。とはいえ毎日のように来るこの定職についてなさそうな年上の男を普通は嫌悪の目で見るものだろうが不思議と人懐っこい子でどうも顔を覚えられた。油まみれの汚い中華屋でシュウジはいつもチャーハンと餃子を頼んだ。チャーハンの端にやや酸味の強いザーサイが載っていたし、細切れのチャーシューが全体の調律を無視しないで紛れ込んでいるのが良かった。カマクラはシンヤという恋人がいるらしいのだがどうも口ぶりからしても冷めきっているらしく、恋人って何なんでしょうねとしょっちゅうシュウジに訊いてきた。どういうもんなんだろう、とシュウジは興味はないが同じよう悩んだりしてみたりもした。シュウジさんには恋人いないのと訊かれて咽せてしまった。半年も前に愛想が尽きて俺を生き埋めにした女がいる、その頃俺は今みたいにカメラマンまがいのことはしてなくて売れない詩人みたいだったんだ。カマクラちゃんは詩人なんて売れないよ、と短く答えた。詩がひとつも売れないからこの女は夜も仕事に出るようになった。そんな日々が続いて女が耐えきれなくなったらしく、気まぐれな猫みたいにパタっと突然消えて出て行った。最初からいなかったかも知れない、そう考えるとしばらく気持ちは楽だった。シュウジはつらつらと話した。最初からなかったその女の影を虚空の中で探すように項垂れて天井の電飾を眺めているとカマクラは動揺もしないで同情を買いたいですか? と、ボソッというのでシュウジは気を損ねた。レジにいるときはもっと良い子に見えたのにな、私は良い子じゃありませんよ、そっちこそまともな大学生かと思いましたよ、大学生にまともな奴なんていないよ、レンゲを箸に持ち替えるとカマクラちゃんはシュウジを見上げた。貫かれたように硬直した彼に向かってこう言った。シュウジさん、中華はおすきなんですか。まあね、こういう街中華の雰囲気が好きだな、油のシミが重なった黒い厨房、日焼けした店内の柄物の壁紙、彫刻のあしらわれた椅子、空いた席で餃子を包む店員のお婆さん、カマクラちゃんは不思議そうに彼の目線を追って、こう言った。私は、あまりこういうの得意ではないんです。こういう店がかい? シュウジは訊いた。カマクラちゃんは申し訳なさそうに、いいえ、と短く答えた、得意も不得意もないだろう、シュウジが箸を下ろすと、カマクラちゃんはモジモジしたあと、ほんとうは、誰かといること自体が苦手なんです、でもシンヤくんはよくこんな私をこういうところ連れてってくれて、そのあと自分の家のあのボロいアパートに連れてってくれるんです。しかも一階の六畳一間の家賃4万の部屋です。隣に中年の男がひとりで暮らしているんですが床に布団を敷くじゃないですか、こっちの動作に応じて咳き込むんです。何、埃が隣まで舞うのかい? そういうんじゃないんです。じゃあなんだい? そういう嫌がらせなんですよ、わたしとシンヤくんの間で、そういうこと、を始めようとしているって、見透かした気でいるんです、でも実際そういうことに及んでいるの? 私が拒んでいます、ふうん、純潔を守っているんだ、なんですかジュンケツって、古い言葉だよ、でもなんだか、たまに、なんですけど、私が寝ている間に、触られている気がするんです、無防備を晒しておいてアレなんですけど寝ている親密な相手を弄るものなんですか、男ってのは、まあそうなんじゃないの、シュウジさんも寝ている間に女の人に弄られるのは嫌じゃないですか? 俺は誰かと寝るのはごめんだ、寝れるわけがない、はあ、寝れるのは才能だよ。とくと見てみたいものだね。見てどうするんですか、シュウジさんは寝れるほどの仲じゃないですよ、飯は食う仲だけどな、同じなんですか、シュウジさんのなかでは、欲求の地平では公平だよ。

 

例の事務局の斡旋でシュウジは新しいアルバイトを始めた。いつもいる雑居ビルの裏手、人工の運河を渡り、飲み屋、喫茶店、煙草屋を過ぎた先にある黒い壁のテナントビルがある。テナントというが、実態はいわゆるデリバリー系の風俗嬢の待機室兼事務所である。ボスに連れてかれ、これほど近くにそうした人間の集う店があるとは驚いた。途中の喫茶店を覗いたがもう店舗としての機能はしていなさそうで、シュウジはがっくりした。おれがつぶしてやったんだ、そのうちコンカフェっていうんだっけ最近は、ひと昔まえのメイド喫茶みたいなやつを入れるつもりさ、とボスは煙草屋で仕入れたラークを吸って言った。シュウジはラークのにおいが嫌いで、なんどか街路に響くほどに噎せてみたがボスはお構いなしに二本目を取り出して吸いさしの一本目を先に当てがえて付けた。煙草屋の軒先ではドヤ街から顔をだしたような泥だらけの中年が、焦点の合わない目を見開いて灰皿を漁ってまだ吸えそうなシケモクを数えていた。シュウジはハイライトをボスに買ってもらったが目的地にたどり着くまで吸う気になれないほどきぶんが落ちこんでいた。この中年が人糞を焼いたようなにおいを発していたからだ。

例の待機事務所、通称「楽屋」に入る前に入り口で身体検査をされた。二重の自動扉の内側で、タンクトップの大男がパイプ椅子の上に胡坐をかいているのである。彼が顔を上げるだけで細いパイプが軋んだ。ボスとは当然顔なじみで、シュウジを紹介した。おいシュウジ、お調子者になってみろよ、こいつに俺は調子乗ってますってわかるような挙動をしてみろよ、ボスの奇妙なむちゃぶりに首をかしげると、目の前のこの大男は眉一つ動かさずに硬い岩のような顔面でシュウジを威嚇している。シュウジは試されている、咄嗟にそう理解し、しかし自分は生来そうしたお調子者キャラではないし、そのような態度をすることはめったにない。手持無沙汰にポケットに手を出し入れしていると、煙草のソフトケースのことを思い出し、こう大男に切り出した。ここは吸ってもいいかい? 外は風が強いし、おっかないから吸えなかったんだよ、こう見えて俺、マッチで煙草に火をつけるんだぜ、若いのに面白いってか? そう言われるために仕出かしてるわけじゃねえんだ、なあ、どこのジムで鍛えているんだ、いちにち何食食うんだ? きっと牛一匹くらいなんだろうな、牧場が干上がっちまうよな。ちゃんと野菜とってるか? 野菜とらねえと風邪ひくんだぜ、何かで聞いたけど筋トレって免疫をいったん下げるんだってな、気を付けろよ。ましてや日がな一日こんなところで門番してんだろ? 冬だったら、さぞ底冷えするだろう? なあどうなんだい?…………すげえな。ピクリともしない、俺だったら反応の一つや二つしちまうもんなのによ。ボスがここで手を打った。パチンと突然鳴らしたのでシュウジは思いもよらず跳ねた。大男はボスの方へ一瞥して、コイツはカタギか、と訊いた。食い気味にそうだと答えるシュウジを大男は笑った。歪な笑顔だ、シュウジは気味が悪かった。口の端が片方しか釣り上がっておらず目は先ほどと変わらない色をしている。

中へ案内されると2階が吹き抜けの比較的大きな部屋に通された。向かって右に一つだけデスクがあって、他は壁際にソファが並び、中央には円形のカーペットが敷かれている。2階へ上がる螺旋階段の上にいる上半身が剥きだしの女と目があった。どのソファにもスーツ姿の男女が並んで座っていて、グラスをそれぞれが持っていた。奥にドリンクバーのダイニングがあり、そこでカクテルなどが頼めるらしい。皆が皆、思い思いに時間を潰していた。喫煙所は2階だ、換気扇付きの個室がある。マリファナは吸わないでくれよ、と大男はそう伝えて定位置に戻るために戸を閉めた。ここで待ちぼうけをしていても金にはならないが、かと言って副業なり内職なりといった時間の有効活用を試みる生真面目なものはいない。だれもが目を血走らせている。しかし大人しい。シュウジは何年目だと尋ねた、これでも新興店でね、件の不況で仕方なくと言うものが多い。もっともウチの客は特殊な客層だから。事務所側の人間は接待役の座る席を縫って奥の応接間のようにパネルで区切られただけの部屋にシュウジを通した。ボスは気がつけばもういない。いつもこうだ。

入るとそのあたりの学校にまだ通ってそうなあどけない背丈をした目の細くて鼻が高い色白の女がノースリーブにニーソックスだけ身につけて、ほとんど椅子の座面と高さが変わらないテーブルの上に仰向けに寝転がっていた。ぎょっとたじろいだ事務所側の人間を、垂れた目で流し見ると、つぎにシュウジをなぞった。文字通り横たわるこの人間を、というよりは顔の形状と剥き出しになっている陰部の丘の暗い毛を交互にシュウジは眺めているとルネ・マグリットの「陵辱」を想起する。この人間は悪びれずかといって恥じらいもせず、シュウジから目を逸らし左足のくるぶしまで垂れた横縞の下着を本来の位置に履き直した。居住まいの悪そうな咳を立てて事務員はシュウジを席につかせた。女は依然としてテーブルの上に仰向けになっている。まるで飼い猫のようではないか、シュウジは唖然とした。細めていたのだろうつり目が、シュウジを睨む、睨み続けている。事務員はパネル越しに他の人間を呼び、彼女を連れ出した。脇の下に手を回されて引きずられていくさまはさながら猫である。失礼、それでは始めましょうか。シュウジは釘を打たれた気持ちになった。先の色白の女の存在が頭から離れない。しかし人相はすぐに霧散した、印象に残らないというよりかは記憶できないのだ。記憶に残らないとはまた違う、記憶に残らないのは印象がこびりつかないからではない、印象がないというのは奇妙だ、記憶をおこなおうとは思えないのか、特徴的な顔をよく覚えられるだろう、凡庸な魚の顔とマンボウチョウチンアンコウの顔とではすぐ想起できるものかといえば後者だろう、印象というよりかは記憶が特徴に印象に先行されているだけであって、記憶していないと言うよりも、記憶する方法のからくりがけん引される明瞭な差異によって脳に焼き付くのである、脳に焼き付かせるためには強力な刺激に富んだものを含む必要がある、異様なねじ曲がった街路にある上位へ裂けるように分かれた三叉路、離れ乳に打ち込んだ画鋲のような率直さを持ったコルクのように硬く大きい乳輪をもつ嬢のでたらめにパーツが並んだ丸顔、こうした差異は記憶に刻み込み、印象を構築する、この女はそうした差異の裂け目に構築されたと言うより、意図的に印象を消す表情をしているのか、要するに影が薄いと言うか、特徴がないのか、引っ掛かりがない。まるでこちら見る側の目に問題があるようなほどだ、実際つり目ではあったが、それ以上が鮮明に思い出すことができない、人の顔を覚えるのが自分は苦手だったのかと錯覚するほどである。下腹部の陰部にしてもそうだ、襞は確かにみてとれた、恥丘、包皮の皺が陰毛の林の先にあるのは見えていないが、行為中にそこにあったはずの陰毛の茂りを忘れるような何か記憶の引力が働いている。過去に性行為をした相手の陰部、もっとも毛の広がり方、襞の肉付きの仕方、包皮のぬくもり、口にした時に迷い込む陰毛、臭い、味、どれも記憶が怪しい、すぐにシュウジは忘れる、記憶が落ちる、ストンと抜けている、そんな気がするのである、結果だけが残るのである。あの色白の女の容貌というのはそういう全ての結果のあと、事後の光景を漂わせている。言い換えれば既に終わっているのだ。何が? 何もかもが。シュウジは特段この女について事務員に訊ねるつもりも起きなかった。月並みな、よくありがちな不幸な生い立ちが並べられてうんざりするのが予想できた。この女は自らの言葉で話さない、自らの言葉がない、誰かが見ていてそれを代弁させられる。あるいはその誰かに断定された解釈に信仰するのみだ、人間とは弱いものだからそうした目線に媚びたがるものだ、自分は病気だから、他人と違うから、他人が理解してくれないから、その事実を解決するために殻に閉じこもる。閉じこもることが外界に触れる肉体はただの甲羅にすぎない。他人事のように恥部を晒すのだ、男に舌を這わせ、吸わせ、しゃぶらせるだけなのだ。その女は茶を淹れて運んできた。ゆっくり机から尻を浮かせると事務員の手の甲から腕、肩をなぞり、首を引っ掴んだ。中年の事務員は電流が走ったようにその場で跳ねて運ばれてきたばかりの茶をぶちまけた。茶はシュウジの服にも直撃した。女は薄目に舌も出して机を回るとシュウジの左肩に顎を載せて身体をシュウジにあずけてきた。首をさすりながら事務員は唸り、雑巾を持ってくるように給湯室にいる別の事務員に声をかけた。シュウジは微動だにしなかった。顎の下、細い首の線が彼の肩骨にのしかかっていて、喉の動きが伝わってきたが気味がわるいほど冷たかった。冷房の部屋でほぼ全裸で横たわっていたのもあるだろうが、人間の体温である趣が感じられない。女は何も話さない、右手をシュウジの空いた肩へ這わせた。背もたれとの隙間に潜り込むように背のほうへ回り、肩越しにもたれかかる形である。指は鎖骨に伸びている。女の吐息が耳元を掠めることもない、息を止めている、訳でもない。背中に押し当たる胸は鼓動をしている、この女が生物である確固たる証拠をようやく見出した。女はまだ口を開かない、シュウジも口を開かない、振り解いてやろうか、そう考え、だがそうしたところで何になるのだと肩を揺する気が起きない。シュウジはいま肩に力を入れていないのだ。それでいてもたれかけているこの女の体重にひしゃげることなく保っていられるのはこの女がかなり虚弱だと言うことだ、シュウジは目を閉じた、鼻も閉じたくなった、女からは生臭い血の臭いが立ち込めていたからだ、女がついにほとりと声を出した、鼻にかかった、しかし声は高い、いま、ウチのこと精神に異常がある子だと思ったやろ。シュウジは、だったら? と気もなく答えた。確かに気は、それっぽちも含んではいない、うちね、相手の心のうち読めるんよ、思ったやろ。シュウジは、凄いね、と心なく何も載せずに読み上げるように答えた。どうでも良さそうね、嘘でもほんとでもどっちでも良さそう。君はどっちだったら良いの? え? なにが? 他人の心が、例えばいま俺の心が読めているかって、本当か嘘か、どっちかがあって、それを誰に言えるんだい? なにそれ意味わかんないんですけど。君はどっちが良いの、どっちを答えにしてるの。その力信じてるわけ? 女はむかついたのかようやくシュウジの元を離れ、パネルの向こうへと歩いていった、事務員の男は後で説教だなと咳払いをした。申し訳ございません変なものを、とも言ったので、いいやとんでもない……実に興味深かったとシュウジは愛想笑いをした。仲良く、そのつもりの会話だと笑い返した。まさかあの女の冗談を信じているわけではないでしょう、シュウジに事務員の男は尋ねた。そう侮れませんよ、彼女は、事務員の男はそう言った。よく客から気の利いた女がいる、先回りされているようで気持ちが悪いと言われたことがありました。シュウジはため息をした。

帰路、シュウジが例のたばこ屋を横切ると、5人の列ができているのを見た。たばこ屋で行列、首を傾げたがもう買うつもりなかったが何の気なしに並びに加わった。一向に列は進まない。変化のない光景を見飽きて、事務所でもらった名刺を取り出し自称超能力者のほぼ全裸のあの女のことを思い返した。簡素なデザインの名刺は仕事に沿わないほどに質素だ。あの中年事務員「磯ヶ谷犬郎」という明朝体がいかにもマヌケにみえた。下に三本も携帯電話の番号があった。磯ヶ谷はあのほぼ全裸の女の名前、年齢、他いくつかの聞くまでもなく簡単な内容の薄い経歴をシュウジに教えた。俺は客じゃねえ、世話役だと言うとこの中年は笑った、どっちも同じですよ、彼女にとってはね、絶対にメイに金、財布なんて特に見せないでくださいね。この忠告にしばらく理解が及ばなかったが、ようやく自分の番になってたばこ屋の窓口で財布から札の金が引き抜かれていることに気づいた。すでにロングピースを頼んでいたシュウジの前にはあのクリーム色の包みが机上に現れていた。シュウジはふつふつと顔が赤くなるのがわかった、弾かれたように店を離れ、先のビルに戻ると例の門番を跳ね除け、扉を足蹴で開き、目を丸くする嬢どもを横目に迷いなくメイ・ツルタニを見つけると途端に平手でこの女を吹き飛ばした。弾かれたメイ・ツルタニの上体が床に目がけてたわみ、くの字に曲がるその屈折点にシュウジは受け止めるように左足を放った、腹に足の甲が入る。くの字のまま持ち上がり、パネルを崩して床に倒れた。パネルの支えでぶつけて口を切ったらしい、咄嗟の出来事で目がおぼつかないメイ・ツルタニは丸くなって震える手指で口元を触れながら暗い三白眼でシュウジを見上げた。女の口は歪んだ。シュウジには見えた、見えていた。微笑んでいた、微笑んでいたのだ。悪戯が気づかれて喜ぶ子供の顔だ。シュウジは加えて足蹴にしてやりたくなった。女の腹に穴が開くほど蹴りを入れたくなった。腹に穴ができてもてもどうでもよさそうな女のように見える。シュウジは衝動が徐々に嫌悪に変わるのを感じた。ふと自分が尿意を抱いていることを思い出した。顔を苦痛で歪ませてうずくまる目の前のものにぶちまけてやろうかとシュウジは悪戯心が浮かんだが、今から働きに出る場で大勢の前でペニスを晒すのにはメリットはない。不思議なことに誰も仲裁や暴力を止めに彼を羽交締めにするものもいなかった。磯ヶ谷がようやく奥の部屋から現れて彼を止めに来たのか手を挙げた。しかしシュウジの目を見ると途端に大人しくなった。弱い動物のようにしゅんとした。トイレを尋ねると震えながら案内をした。なぜか2階にしかトイレはないらしい。メイ・ツルタニのあからさまなすすり泣きの音とそれをあやす声がする。シュウジの後を追い、小便器に並んだ磯ヶ谷に金を取られたことを伝えた。磯ヶ谷は目のやり場に困ったのかおどおどしてシュウジが尿を切るまで便器の縁をみたり、タイルを眺めたりしていた。シュウジはとても荒立てる気も失せていた。手を洗うとついさっきまでの暴行を加えていた人間とは思えない落ち着きが鏡に映っていた。磯ヶ谷は背の方から連なって一旦事務所に戻るよう促すので、煙草吸っていいかと廊下で尋ねた。ええ、二階であれば、と答えた。喫煙ルームがある。磯ヶ谷はトイレのあった廊下を右に折れ、突き当たりを案内した。いやオレが訊いたのはあの女を灰皿に煙草を吸っていいかってきいたんだ。はあ、磯ヶ谷はそう困惑の顔を見せた。仕方なく喫煙所に行くとニヤニヤしている女の隣に成海璃子によく似た落ち着いた女がもたれかけた壁から、スッとこちらへ歩み寄って暗いロングスカートのポケットからハイライトの包みを取り出し磯ヶ谷の方へ一本差し出した。私じゃない、彼だ、と磯ヶ谷は声をわなつかせてシュウジを指差した。シュウジは受け取ると包みをマッチ箱に切り替えた女からすぐ火を迎えた。背は高く、肉付きも先に蹴った女よりも付きが良く、何よりシュウジの好みである賢そうな印象を覚える。他のものと違い露出が少ない。他人を印象で見極めるのは人の卑しい行動であると知りながらシュウジは無意識にそれを行なっていることも嫌でならなかった、嫌だ嫌だ、そうよくつぶやいた。事務室に戻ると、鼻血を拭いてもらい野垂れるメイ・ツルタニをこの煙草をくれた女は見下げて、わたし、この子嫌いなんだよね、馬鹿だし、下品だし、金は盗むし。シュウジは無闇にそういうことを呟かないで欲しいと思った、像が崩れる。気がないように、そうだな、と受け応えた。あら、あなたもそういうふうにできるのに暴力に走れるのね。感情が表に出ない人間だと思った。女はそうせせら笑う。そう見えたのか。ええ、ここにきた頃から気が進まなそうなやつと思ったわ。ふうん。たばこの女は微笑んだ。シュウジは自分には表立ってだす感情なんてあるのか、あるものかと首を傾げた、金を盗んだ馬鹿への報復に感情はあったのだろうか、たしかに衝動が先を奔ったようにも思えた、機械的だった、暴力を振るわれておかしくないことをこの女がしたからだろうか、この女はしたのだろうか、あなた、ヤクザものなの? たばこの女はシュウジに訊いた。いいや、別に、ただの根無草の類です。急に改まった言い回しが脇を濡らし、顔を熱らせた。

磯ヶ谷が労基にまつわる話で少し話さないといけないことができたから待って欲しいと、タバコ女と喫煙所で待たされている間、例の半裸の嬢を彼は手当ての続きをおこなっていた。近所のスナックのママさんも駆けつけて、とうとうこいつは痛い目に合ったらしいと喜んであれこれ口走った挙句何もしないで帰っていったという。シュウジは先に買い損ねたロングピースを買いに行きたいとタバコ女を誘った。ビルに居座る理由もないが、もうここから帰りたくなっていた。たばこ屋はもう閉めてしまっており、どこかご飯を食べに行こうということになって、女は中華がいいと言い出して駅の反対側にある町中華屋に向かった。

道中もう夕暮れの街並みをシュウジはもらったハイライトを吸っていたが女は吸わなかった。マナーよ、とシュウジを例の蔑む目をして答えたので居住まいが悪くなって投げ捨てた。あの女の周辺の面倒なんてまかされたらごめんこうむるね、シュウジは言った。私の面倒なら見れるかしら、たばこ女は思ってもないようなことを呟いた。シュウジに訊いているというかは思いつきがこぼれたようだった。いたずらな目をしている。ハイライトな煙が目に滲みながらシュウジはどうだろうね、君の方がずっと楽そうだ、と答えると思ってもみなかったのか、しばらく彼女は黙り込み、指で数を数えて、それからこう―よく知ってからその結論を出すといいわ、釘を刺された。

彼女は東条マミナミ・ム・ナミミという源氏名があてがわれていて、シュウジにはこの職種からなる仮の名前より、ムナミと呼ぶように頼んだ。シュウジは呼びづらいからミナミと呼ぶといった。東条なのにミナミじゃおかしくない?と彼女は言ったが、シュウジはそれよりも東条という苗字が変に気に入った。彼の苗字は小西で、どうしてか向かいに初めからいたようで親近感が湧いた。ミナミという名前は死んだ私の名前よ、もうそんな人はいない、東条はそう言った。本名かと尋ねようとしたが無粋に思えて止した。橋を渡り、駅の反対側に出ると居抜きの台湾料理屋がすぐ目についた。ミナミはここの常連なのだといい、ルーロー飯と空芯菜を頼んだ。甘いお茶も頼んだ。あなたを見ていると……普段どんな食事をしているのか、呆れるほどわかるから、たらふく食べられるところに来たの。サービスのスープを手にしたミナミはシュウジを一通り頭のてっぺんから爪先まで舐めるようにみてからそう言った。そりゃ大したもんじゃないよ、シュウジはこのクソ暑い中スープを飲める彼女に感心をした、生ビールを注文した。年中私は冷めきってるのよ、みんな暑くて汗をかいている中でも平気で涼し気な顔をして、よく怒られる、睨まれる。汗をかかないと熱中症になるんじゃないか、どうしてか外気と触れていても影響がないのよ私、熱が伝わらないのかな、そうなると体内の水分が飛ばないのか。私はきっと淀んでるの。ある意味で欠陥だわ、お陰で冷房に用がない。火傷もしない? シュウジのこの質問に、ミナミは少し詰まった反応を示した。うまく答えられない、何かが喉につっかえて言葉が出ないらしかった。煙草どうなんだよ、そんな体で吸ってて、あれだって火傷するじゃないか、煙に熱があるし。そうなの? シュウジの追撃に追いかけるようにミナミはそれとなく聞き返した。だって火がついてるもんだぜ、肺を焼くとかあるじゃないか。味のある、苦しい空気だって感じかな。そうか。温度に左右されてなくて困ることはある? うーん、風邪をひいた時、発熱ができないから身体の中のウイルス、死滅させられないことかな。風邪になったらどうやって治すの。どうしようもないわ、ウイルスが細胞を破壊するのをやめるまで待って、ウイルスがいなくなってから修繕するしかないじゃないかな、シュウジはビールを飲み干してからこれはミナミの冗談だろうと言うことに気づいた。気づいたというよりかは、事実ではないだろうという白けた彼なりの帰結だった、面白い話をしようと取ってつけたようなことを言っているだけなのだろう、彼女に手を出すよう言った、差し出された手のひらを両手で握る。生気のない冷たい手である。席に餃子とルーロー飯が届いた。シュウジはこの女の食いっぷりに酷く感動を受けた。控えめな所作が一切ない。純粋に食事という行為に即した無駄も迷いもない動き、喉を律動させ流動を終えると、水を利き手でない方が掴み、その隙に箸を手の平に転がして親指の付け根と人差し指で挟み、空いた残りの指で平皿を手元へ寄せた。シュウジはこの鮮やかな動きの数々に何かを口にするのも、口から言葉を出すこともできずにいた……

 

シュウジはため息をつかない手立てを覚えた。ハンドルを握っている以上は、あるいは握っている間は自分が操作しているはずの機械の部品の一因に過ぎないことを意識した。メイ・ツルタニの送迎は機械的に済めば楽なものだった、夜間の高級邸宅街をリムジンではなくハイエースで乗り付け、口約束で採れた予約に忠実にメイ・ツルタニを依頼人宅へ送り込む。プランは多種多様で顧客によってはメイ・ツルタニを三日間帰さないでいたこともあった。ふた晩彼女は天井から麻縄で吊るされて過ごしたらしい、鬱血した体を点検しながら彼女は教えてきた。シュウジは彼女からの電話番をしながら、途方にも思えるほど長い待機時間に気を揉まないように他の従業員の送迎を行ったり、仕事を抜け出してミナミと町中華へ行き、ミニシアターで3本立てを見て夢の話を互いにしたり、昔付き合いのあった人間の話、冗談、癖について語らった。ミナミは本を読むという、シュウジは随分前から習慣がなくなっていたが、その怠惰な状態を改善したいとは思わなかった、もっと青臭かった頃……つまりは18歳前後に「私たち殺人事件」と称する女との付き合いというか付き合いとも取れぬ関係があったあの頃まで、シュウジは本を読むことでしか自分以外のものに目を配りたくなかった。自己を見つめるのも嫌だった。全てがあけすけに、あからさまに拒絶を強いてくるような世の中で他人の無理解を建前に嘲弄のかぎりを尽くすことに楽しみを覚えていた。本を読むことで他人より優位に立ちたがる連中を見ると吐き気がして本を読むのをやめてしまった。あるいは「私たち殺人事件」との関係の末路に、掴めそうにあった他者への回路が途絶したことですべてが元に戻ってしまった。本を読んでいようが、他者に向き合おうが、何も大して変わらないことを察したシュウジはそのうちどちらもやめてしまった。

ハイエースの運転は、内輪差の都合、初めのうち慣れないものだったが、基本的に向かう現場が揃いも揃って高級住宅街である場合がほとんどだったため、利権の取り合いの結果にもよるが大体が大通りかロータリーのある玄関ばかりで、取り回しが容易にこなせるようにはなった。車体が大きいからか、混雑を極める県道へ脇道から合流しようとするとおずおずと譲ってくるドライバーの方が多い。ハイエースに乗っているからという理由で威嚇になるのだろうとシュウジは虎の衣を借りた気になった。メイ・ツルタニは送迎中は眠るので車内で首を噛まれる心配はないが、起きている時の突っぱねた言動が目立つ。しかし目的地に着き車を降りるとしっかりと目を合わせてはっきりした声で礼を言うのでシュウジは調子が狂った。彼女は免許を取ろうとしたこともあったらしい。教官の何名かとトラブルを起こし、受講料の捻出に首が回らなくなり、結局途中でやめたらしい。家庭内の不仲から追い出される形で独り身でも生活できないため初めに転がりこんだシェアハウスで年長のルームメイトが社会復帰の一環だということで紹介してもらったものだったらしいが、彼女にとっては社会からはみ出したという意味が苦痛でならなかった。シェアハウスも追い出され、しばらくの間夜の路地で男から金と寝床を巻き上げた。彼女なりに運転者への敬意かもわからないが、運転する者がいなければ彼女の仕事が成り立たなくなる。

ミナミは経営の方へ回ったことが彼女の家とシュウジの仮住まいを行き来する生活が続いていたなかで明らかにされた。ミナミは職員の何人かはもうこうした仕事よりももっと単純に他者を必要としている他者を必要とする顧客に何か接近し共生する手立てを設けて、あるいは架け橋になる必要があるかもしれないという意味のことをシュウジに話した。彼はうまく飲み込めなかったものだが、ましてや金持ちにしか用のない仕事で支え合うなぞという欺瞞に満ちた言葉に本当に必要としている人間は金も払えず他人に頼る術も知らずにひとりでに腐っていくものであることをこの女は知らないのだ。他人さえいない孤独に日々を闘う弱い人間に向き合いもしないで彼女からのそうした善意が表立つのは腹が立った。

 1年ほどこういう暮らしが続いた。9月のまだ茹だるような月曜の昼間、ミナミの部屋を出て駅近のコンビニに遅い朝食を買いに出ると熱波を放つアスファルトに眩暈を覚えた。ミナミは一時間も前に仕事へ出て行った、うだうだと寝床で這いつくばっているともう姿はなく、朝食を取るにはもう遅い時間帯になり、ベランダの開け放たれたままの窓を冷房をかけるために閉めにようやく動くと斜向かいの建て替えのビル工事の音と、眼科を歩く作業員の男がふたりそろそろ歩くのが見えた。部屋にいる間はミナミが用意してくれた寝巻き(黒の薄手のスウェットを上だけ着ていた、ズボンはないという、なぜないのかはわからなかった)で過ごしていたがこんなに暑い中分厚い作業着を着る彼らを見ていると居た堪れなくなってポロシャツに着替えた。靴も軽いスニーカーでかかとのゴム面が擦り減っている。歩くとすぐに汗ばんできた。コンビニの手前の往路で猫が潰れているのがみえた。以前もこのような形で猫が魚の開きのように伸びている姿を見た気がした、平たく伸びた動物の毛に包まれた皮膚を見て、分厚い封筒を連想したんだったか、猫は潰れている、腹の方を覗き込むと薄いピンクがかった臓物がはみだしていた。おおかた車に轢かれたその轢死骸だろう。往来を行く乗用車の数々が道のど真ん中で普段見ない塊を見つけると、怪訝な顔をした運転手のハンドルの取り回しでそそくさと避けていく。暑いとつぶやく作業員がまだふたり通りかかり、こりゃひでぇと猫の潰れた頭を見て唸った。苦笑した。猫のひしゃげた顔も笑っているように見えた。もうひとりはタバコを吸いながら黙々と進む。死骸に見向きもしない。猫の贓物をみているとすっかり食欲はうせてしまった。シュウジは前に入り浸っていた事務所の、自分の母親と歳が大して変わらない女のことを思い返していた。この女に紹介された占い師の胡散臭いサロンの帰り道に轢かれた、轢かれた時の傷はもう癒えている、内臓がはみ出るでもなく、背中を少し切ったり、擦り傷を作ったりする程度だった、そしてその後に出会えたのがあの画家の女だった、もうあの女の名前も出てこなくなった。シュウジの頭にすぐに顔が浮かばないこの女は今何をしているのだろうか。タバコの火をコンビニの灰皿へ落とすと電話が鳴った。数ヶ月ぶりにメイ・ツルタニから迎えの依頼を意味する着信である。彼女はこの用件でないとかけてこない。電話に出たが声が聞こえる間も無く切れた。おおかたこちらが出たことに気づかず取り消したのだろう、すぐに短いメッセージが送られてきた。場所が記されていた。たしか八十歳くらいの元作家の客が孫代わりに避暑地の別荘にメイを連れて行ってしまったのではなかったか。メイを拾いにその別荘地にハイエースを駆り出す必要があった。すぐにこの足で事務所の地下駐車場に向かい、送られてきた位置情報を元にすぐ車を出した。高速道路に入り、着いたのは夕暮れだった。夏の夕暮れは西日が眩しい、西が進行方向になりかなり辛かった。ようやく解放されたメイは仕事柄の疲労ではないものを体に纏っていた。別荘へ向かい、辿り着く間も無く依頼人は持病が悪化し、そのまま別荘地の大病院に担ぎ込まれて二週間ほどして亡くなったのだという。隠し子という体でその老作家の最期を看取り、葬式にも出たのだという。金をもらう前に客が死んだと抑揚もなく気味の悪そうな口ぶりで言った。お客さんの娘さんってひとがわたしにきをかけてくれて、どうしてこんなにわかい娘さんつれているのかしんぱいして警察につきだされかけたけど訳を話したらしばらくおうちにいさせてくれて準備ができたらお金渡されて帰らされた。メイは帰りのクルマで淡々と話した。おくさんにさきだたれて、さびしかったんだろうね…シュウジはその老作家の作品集をあのころに読んだ覚えがある。粒ものの中にひとつやたらと長いものがあって本の半分はその中編に紙幅が割かれていた。それはなくなった妻にまつわる秀作だった。

わたしその人が亡くなるとき、死ぬとき、一緒に寝たの。意識が薄れるなかで、もう意思の疎通もできないのに、わたし、その老作家がなにかしらで表現して、それをわたしにつたえたの、わたしはそれをわたしなりに噛み砕いて、枕元に擦り寄って、手を握って、眠るの。おおきな木のしたで、風が気持ち良くって寝ちゃうみたいなかんじ、手はゴツゴツしていたけどね。添い寝ってわけじゃないんだよ、でも添い寝のように密着してたような、心地よさが、きっとこの人には伝わると思ったの、ねえ、人って死ぬときって苦しいと思うじゃん、苦しみ悶えて暴れると思うじゃん。往生際がわるいみたいにね。でもこの人は、静かだったの。シュウジは電源が突然切れるような、コト切れるって感じかと、きいた。そう。ぷつん。ぷつんと、息をしていないことに気づいたらもうわたし、頭が真っ白けになってね。でもこっちが、いきているわたしや、遠くにすむこの人の娘さんが別の部屋で医者と話をしているところを騒ぎにしてしまうのは、こんなに安らかに眠るように逝った人に失礼だと思って、わたしもそばにいながら気づいたら眠ってしまったという体で目を瞑ったわ。眠れるわけがないわ。普通でも警察に突き出すじゃんわたしみたいなえたいのしれないおんないたら。その娘さん、わたしから訳を聞き出したの。そしたら変に合点がいったらしくて、その人にあらかじめ言われてたらしい、自分はこうこうこういう真似を死ぬ前にする。お前には迷惑をかけるし困らせるかもしれないが理解してほしい、もし私が手配した人間が何かしら困る状況になれば、親身にしてやってくれ、そう言ってたらしいの。気周りのいい遊び人よね。シュウジはメイの話がさっきから話題を常に堂々巡りをしてやってきてはもどって、離れてまた戻ってきてを繰り返していることが気になった。メイなりに混乱しているのだろう、もし仮に世間の目に沿ってその怪しい得体の知らない女がであると見定められて、何かしでかしていたとして、それは彼女の利益にはならない。破滅的な或いは道理に外れる行為に躊躇いもなければ話は別だが、この女は道理から外れることは平気でやってのけるきらいがあるから、どこか今回の件は運が良かったという他ない。こころなしか命拾いをして怖気付いている。目の所在の慌ただしい泳ぎっぷりを見れば明らかである。去勢された雄牛というよりかは、突然おもちゃを取り上げられた子どものようだ、どう形容しようが張り合いというものが欠けてしまった。

高速の渋滞に嵌まるとメイは昔好きだった人が廃人になってしまって、それは自分がその人におこなったことがきっかけだったとして、自分がしてあげられるってことは目の前から消えてあげることでいいのか、と脈絡もなくシュウジに尋ねてきた。どうしてそんな話を始めるのだろう。歓びを受け入れるために誰かを求めるように傷を癒すための元凶から離れるのは普通じゃないのと答えた私がその人の人生っていうの責任を持って一緒にいるという手もあるかもしれないのだろうけどもっとその人が悪い方に転んじゃう私が離れれば少しは冷静になれると思うのそういうことは案外あるものだとシュウジも感じていた。でもねそのハイジンさん自殺未遂しちゃって今入院してるオーヴァードーズっていうの? 眠剤を大量に摂取するアレ、アパートで泡吹いてぶったおれているのを物音で不審がって大家さんが救急車を呼んでね。

君はその人に何をしたんだい、シュウジは尋ねた、何よ、説教でもするの、そうじゃないさ、ただの関心だ、私が何をすることができたのか、私に何ができたのか、そんなものがあったのか、そんなものがあったのかしら。さあね。知らないわ。なかったかもしれない。なかったかもしれないわ。せいぜいからの期待には応えてきたつもり。でもそれは彼を満たしていたのかは別の話みたい。シュウジはバックミラー越しに怪訝な目で俯くメイを一瞥した。

 

ミナミの部屋に戻るとシュウジは買ってきた缶チューハイを飲んで酔い潰れてひと眠りをした。起きるとカメラ屋に連絡して現像したい写真のいくつかがある旨を伝え、都合を合わせようと話し合った。ミナミからも電話が来ていた。帰るのが遅くなるという短い連絡だった。メイの帰還を記念に店の人間で飲み会を開くという。

昨日の迎え上がりに事務所へ荷物を撮りに行く手筈がメイは直帰を望んだ。メイの言う通りに家の近くまで送った。シュウジの知らない港に近い町だった。埋立地のため、地下鉄が地上へ上がってくるのだと言う。駅近のコンビニでいい、とローソンが見えると彼女はそう言い出し、シュウジは一台切り替えを起こすだけで塞がる道路から狭い駐車場れ器用に車を停めると、飲み物と弁当をコンビニで買うからおいでとメイに提案した。メイはお腹は空いてない、と車からまだ出ようとしない。でもありがとう、とメイはいつもの目で礼を言った。ねえ、かわりにタバコ吸わせてよ。苦しくなりたいの、とメイは後部座席からシュウジの胸ぐらへ手を伸ばして弄った。あいも変わらず冷たい指先が刺さるような心地である。胸ポケットにはないと言い、腹部のポケットからホープを取り出した。変えたのタバコとメイは残念そうな顔をする。ころころ変えるさ。浮気性なんでな。そう、メイに一本差し出した。広くなっている運転席と助手席の間に身を乗り出したメイの口に咥えさせると、彼女は火を待った。シュウジはマッチを擦り、与えてから自分の分にもつけた。シュウジはサナダ虫の話と世紀末にあった大予言の話をした。自分の生まれてもまもない頃に、みんながなんとなく信じていて、滅ぶことを恐れたりしていたという、ふざけた話だ、全部嘘っぱちで、滅亡なんてなかったと言うのは、肩透かしというよりは、むしろ滅亡を待つ日々がなくなってしまったことが絶望感を抱かせるのではないかと言うことをメイは言った。シュウジが14の頃だったかに2012年にマヤの大予言なんてのもあった。それにあやかった映画があって、家屋が倒壊し、道路側れる中を車を走らせるなどといったハリウッドのご都合主義満載だったが、たしか世界中で大地震が起きてノアの大洪水のようなことになって生き残った人類が、中国人の作った方舟に乗るという話だった。実際その前年に大きな地震が東北に起きて、シュウジに限らず彼らのわかい世代にいまもああした、明日ぜんぶがひっくり返ってしまうかもしれないと言う日常にずっしりと潜む重みが含まれるようになった。幼心のまだ残る思春期のうちに自分が成人して大人になって、あるいは家や家族を持つことになったとしてもその何年かの間にあの東北を襲った大きな天変地異を超えるものがやってくると教えられてきてしまえば、将来への希望なんてチャチなものさえ抱けなくなる、現実の先にある現実味のない大きな出来事がぐっすり眠れるのか怪しい日常に潜んでいるのだ、忘れかけていると思っていても、その諦観がどこかに付きまとう、マヤの大予言だって世紀末の大予言だって、過ぎてしまってホッとしたのとカタストロフが起こらなかったことへの残念感があったのだろうが、われわれに今直面している天変地異の予告というのは、際限なく引き起こされるまで続き、それを嘘だと跳ね除けるか諦めるか片隅にほかって置くことができない限り、いつまでも残るのだ、あの地震や、その後の熊本だとか、出来事の諸々が全て自分の選択によって引き起こされていると信じてならない女が以前シュウジの親しい間柄のうちにいたが、初めは当てにしていなかったがくっついては離れるうちにどうも本当らしいもっともらしい出来事が続き、シュウジは彼女を信じていかざるをえなくなった。メイにこの話をするのは馬鹿らしいし、以前占い師のサロンに乗り込んで詐欺商法だとコテンパンにしたことがあるのにオカルトじみたことを突っぱね、メイの言う誰それが何を考えているかお見通しということを何か歯切れの悪い冗談だと笑ったことがあるのにクソ真面目にこんな話をするなんて野暮だと自分をわらった。その人とはどうなったの。離れたの。離れたままさ、僕は埋葬されたんだ。あの話の拗れた袋小路の果てに、悲しい夢を見て、ぼくは衣装ケースの中に誰のものかもわからない腰骨と抱き合わせに詰められて埋められたんだ。ぼくが彼女の震源地になったんだ。大いなる震えとなって、のうのうと呑気に生きる頭で考えない奴らを足元から揺すりだして蹴落とそうとしたんだ、彼女と一緒になってぜんぶをぶち壊しちゃえば万事解決だと思ったんだ。シュウジの吸っていたタバコの灰が長く長く先端に残るのをメイは力の抜けた目で見つめていた。八方塞がりとはこのことで誰かがそばにいようといようとしないだろうと、シュウジはあのいなくなったあの女「私たち殺人事件」の生き霊を別の誰それに映しては苛まれ続ける、シュウジの都合の良い妄想の類に捩れながら……

 

酒の鈍い痛みを含みながら帰ってきたミナミをみた。彼女はシュウジの頬を撫でていた。ミナミの目にはあの女、あるいはあの女たちの冷たい色が映らない。この女には投影されないことを喜び、あとは落胆した、自分には明瞭にわかる落胆である。大丈夫? というミナミの問いかけに少し悪い飲み方をしたみたいだ、と応えた。なんでひとりで始めてるの、おまけにメイちゃんの会来なかったし、行くべきだったんだ、そりゃね、いや、誘われても行きたくなかったんだよ、まあ私と途中で抜けてきちゃったんだけどさ。あの子嫌いだし。素直だね。いや。どうしてさ、楽しんでこればよかったじゃんか。私はきっと楽しんだフリをいまもしてるの。そうか、とシュウジは口にしてから「楽しんでこれば良かったじゃんなん」なんてことを言ったのだろうかと首を傾げた。メイの復帰記念にも興味はなかった、たしか彼女は辞めたいということを口にしていなかったか、タイツを脱ぐミナミは立方体のビーズクッションに座っていて、シュウジは正面にどこへ座ってむきだしの生足とその付け根、下腹部の窪み、胸、首、顎、鼻、右目、左目を順に見ていった。目が酒で充血していた。どうしたの。と苦笑いするミナミに、いや……と顔を顰めた。寂しかったの? と甘い声をされたがシュウジはつっけんどんにそんなんじゃない、飲み会のわりに顔が真っ赤じゃねえなと思っただけだよ、私飲んでもそんなに赤くならないじゃん、代わりにどっと立てなくなるの、もう大変だったんだから。そう言ってスタスタと洗面所に歩いて行く。ねえ、シャツ脱がせてよ、あなたも脱いでよ。なんでだよ。この部屋暑くない? あつかない。さむい。そう? さむい? さむいかー。どうしたんだよ。シュウジは訊いたが返事がなく、洗面所の方へ行くと隣のトイレの前で野垂れている。風邪引くぞというと気持ち悪いという。気分悪そうだな、とシュウジは思った。口にはしなかった。吐いてみろよ、そう言った。身体を起こし、便座の蓋を開けて髪を後ろで束ねてほら、吐きなとうながした。やだよ汚い、とゲラゲラとミナミは笑い始めた。いいじゃんか。俺はお前が吐いてるところをみてゲラゲラ笑いたい。なにそれ。酒臭かった。なに。気分良さそうなの?いや。できたら楽にしてほしい。なら吐きなよ。うん、うん。うー。でも出る気がしないの。吐きそうなやつはそんなに喋らないよ。顔色悪くして唸ってるだけだよ。唸ってるじゃない。ほら、吐きなよ。やだよ。水飲みたい。水飲んだら余計きもちわるくなるよ。ならないよ。ちょっと楽になるかも…あ〜、やっぱごめん無理。彼女の顔面が便器にめり込んだ。嗚咽と同時に土砂のようにだばだばと流れ出た。肩や背中が胃の蠕動につられて痙攣するようにそとへそとへめがけて動いている。健気な機械にみえてくる。その背中の震えある動きをシュウジはさすった。ミナミの胃液の酸っぱい匂いが香った。射精した時の陰茎の震えのように弛緩と緊張を繰り返すミナミは涙目に鼻水を垂らしゲラゲラ笑い出して口をトイレットペーパーで拭いて鼻を擤んだ。ねえ、シュウジ。見られた。見られちゃったよお。何を。ゲロを。ゲロくらい見るだろ。見られたって、なんでも見られちゃったねって。見たってなんだよ。いいだろ。ねえシュウジシュウジって、わたしのどこから、どこまでみたの。どこをどこまで見てきたのか、どこまでちゃんと見てきたのだろうか、何を見たってすべてを見せてきたというのか、全て見せてきたつもりでいたのか?あなたは私と向き合うとき、どこをどこまで、何をいかに見ていたのか? 見てきたのか? どうしてそんなに訊くのか、シュウジは手を引っ込めた。シュウジの撫でたあたり、そして這わせた背骨の先、首の骨が浮き出た皮膚がじわじわと滲み始めた。ねえ、私の何を知っている?ねえ、シュウジ、何手を休めているの、さすってよ、さするの、楽にさせてよ、全部が全部吐き出させてしまいたいの、苦しいの。苦しくてたまらないの。シュウジはたじろいでトイレを飛び退いた。ミナミは自分からゲロまみれになったシャツを脱いだ。肌着姿の透けた先に斯くと見た、描き出された。肌に滲む赤みの数々はシュウジが酔うと血流に乗ったアルコールが発光のように赤らむのとは似ていない、高揚のそれとも異なる、肌の反応として目まぐるしい変わりよう、それが薄い肌着を透過して見えるのである。ねえ、シュウジシュウジは私に触れることがこんなことになるなら、あなたの寝首を絞めてしまいたいわ、それとも、私があなたに首を絞められてしまいたい。ねえ、なんとか言ってよ。シュウジは肌のことなのかと訊いた、蕁麻疹にも似たその肌の変容に、かつてシュウジの知り合いに手を繋ぐだけで蕁麻疹が出てきて肌がボロボロになる恋人を持つ者がいた。想起した。スキンシップで触れ合うことさえセンシティブになるそのふたりの交際は如何なるものだったのだろうか、その類に似たものが、ミナミにも起きているのか、日焼け? シュウジは苦笑いをした、暑かったもんな、汗が滲んだ肌着がその発疹にまみれた皮膚に張り付いている。シュウジの寝巻きに手をかけてミナミはしがみついた。足掻くと手指が絡みつていて、服を剥ごうとする。その気迫にとてつもない打撃が彼女から繰り出されると予感がした。シュウジに以前、この蕁麻疹の恋人のいる知人の話をしたことがあったか?あったのだろう、と気がかりになった。ミナミの肌には焔が奔っている、それは図示された刺青ではなくケロイド状に裂けて爛れが暴れ回った痕であった。シュウジは感嘆の音を上げた。誰しも驚きで慌ててしまうかもしれないが、シュウジは咄嗟に自分の外部に発される印象による態度が、彼女にそれが自分に向けられた嫌悪と誤読されてしまうことを恐怖した。拒んだ。胸に自分の胸に一発、強烈な打撃を浴びせた。その間、開いたもう片方の手のひらは自らの口を閉じしていた、もう一度意識の焦点に当てた、歪みは、フラクタル図形よりも複雑に伸びた皮膚の線をひとつひとつ指で撫でて道筋を追いかけたくなった、感覚はどう分布しているのか、連動するのか、連関はあるのか、独立しているのか、神経細胞はどこかに突出しているのか、シュウジはそれらを興味関心に向ける視線でいることに肯定的に捉えたかったが、訊くことを憚れた彼女の肌を奔る皮膚の線のいくつかは明らかに受苦を与えていた、目に見るより明らかに、感覚が記憶と連動し、全身が学習している痛みの絶え間ない反復が持続という監獄であり、彼女は出来事に投獄され続けている…傷の執着によって……

シュウジは部屋を出た。私を弄びたいんでしょ、ミナミは知ったようなことを言い残した、肯定も否定もないが、その皮膚の稜線の数々の中にあの女の集積を、反復する生き霊の年輪を垣間見た、シュウジは部屋の外へ自分の身体を弾いてしばらくあてもなくずかずかと走り回り、自分がこの女にとって、あるいはいくつもの生き霊を映した女にとって、いずれにも性の二項対立の一翼を担うものとしてこの部屋に、あるいは外の世界の要素として所属していたことが、無性に嫌悪感を覚えた。

                          (了)

 

跋 

 本作は某新人賞の応募原稿として書き始めたもので、セリーヌにあこがれを抱きながら厭世に苦しみ、傍らにあった坂口安吾の吹雪物語を思い乍ら綴った。この応募で賞なんてとれやしないと思っていたので箸にも棒にも掛からぬありさまであるが、太っ腹なその賞の運営はこの回で5人にも賞を与えおった。5年後作家として生き残っているかわからぬような輩を5人も輩出したわけだが、子孫繁栄のためにご大層なことである。生物的に生存に危険な状態に陥ると生殖本能を剥きだしにし、何としても次の世代を残したがるという。私が応募した賞以外にもあまりにも話題性を優先した賞ならぬショーになっている新人賞がいくつもでてきた。わたしは今後も5年後だろうと10年後だろうと、絶対に賞なんか獲れやしない嫌がらせまがいの代物をおくりつけて運営ないしは鼻の下を伸ばしている編集部の顰蹙を買いたい。これが世に対するささやかな反抗となりうるのを信じて。2023/10/5

 

ぼく(ら)は誰と生きるのか、

 4月のはじめに友人の訃報が流れてきた。亡くなって一月経ってから彼女の友人を名乗る人物が代理で報告していた。彼女とは社会人になって、一人暮らしを始めたころ、ネットのつながりで知り合った。一度も実際に対面で会うことは、これにてなかった訳なのだが、一人暮らし同士自炊を励ましたり、夜の通話をすることもあった。同い年だったし、同じ双子座だったし、共感を持てる部分もあったので、勝手に親近感を抱いていた。

 一人暮らしがかれこれ今年で、3年目になった。つくづく一人でいることが気楽で、もうこのまま一生独り身なんじゃないかと思うようになってきた。会社の人間はみんな世帯があったり実家から通ってる人達が、恋人がいるかで、自分は人付き合いが良くないからかいまだに腹を割って話せる人間が近くにはいない。遠くにだってもういないようなものだ。学生時代の級友も誰とも連絡が取れない。疎遠ということなのか、みんな愛想つかれて気がついたら誰からも返事が来なくなった。ちょっと前に大学のゼミのLINEグループで「みんな元気?」なんて送った時は「要件は何」とぶっきらぼうな返事が来たけど、返事が来ただけマシだろうし、割とよく絡んでた奴に限っては既読もつけてないかもしれない。要するに嫌われていたんだと常々思う。

 ネット絡みの方面でもほとんど自分の言動のせいでそうなったってのもあるのだが、あるフォロワーが島違いの別のフォロワーを頭ごなしに相手には見えないところでカゲ口のように批判しているのをみて、それを指摘してブロックされるってことがちょっと前にあった。デリカシーがないってことなんだろうけど、反省しろなんて言われても、どっちもフォローしてるじぶんの気持ちはどうなるのだろう、まあそんなもん自分のなかで処理しろってことなんだけど、ずいぶん人付き合いが下手くそだなと、小手先の呟きひとつでさえ痛烈に感じる。嫌になる。

 攻撃的な危険な人間というレッテルをどうやらツイッターではされていたりして、どうしてそう思われるのか本人が理解していないあたり、他人から自分がどう見えているのか思われているのかという想像力が自分には明らかに欠けている。さいきん仕事柄で会社外の人と複数人関わることがあって、小さい頃からずっと性質としてある、「知り合って間もないうちから外面をよく見せようとする」癖があいかわらず発揮されて、社内では波風を立てるような言動が目立つ。会社の外は敵だぞと上司に諭されて自分のやってることは何?密偵?どこの立場にいるわけ?なんて野暮なことになっている。プロジェクトの達成のために自分の持ち味を自分なりに活かして進めるとそんなふうな事を言われる。敵にヨイショヨイショして味方に塩を塗るような奴と思われてるかもしれない。課内課外でもそんな感じで同じ課のひとで信用できる人がひとりもいない。みんな正直苦手。口にしないだけでものすごく嫌ってる人も何人もいる。こういう自分の性格の悪さが時々身体からはみ出してることもあるだろうから、向こうからも多分嫌われている。

 本当にこんな感じでこれまで四半世紀生きてきてしまったので、これから信頼できる人間と仲睦まじく生きていくことなんてできるとは思えないし、腹を割って話せる何年来の親友なんて者もできない。私が心を開く相手がいない相手がいないというが、だれもこんな奴の心のうちなんか知りたいとは思わない。表層だけの薄っぺらい奴なのだ。たとえ知り合った人の中で今回みたいに亡くなる人がいても、悲しくて悲しくてとても辛い気持ちになっても、でもその人にとっては遠い赤の他人に近い存在としか思われてなかっただろうから、深く深く傷つくことができるのだろうか。そんなことを考えるような奴なんだ。誰からも画面の隅にかろうじて書かれているモブキャラとしか思われない。良く言いすぎた。書かれてさえいないモブキャラかもしれない。

 というか、こんなことをつらつら考えている画面に書かれていないモブキャラがいるのはキモすぎる。

 

どざえもんの夜 一人暮らし4ヶ月目の所感

 茶を沸かし、それを水筒なりコップなりに注ぎ飲み過ごすサイクルが続いたが、今朝がた、沸かしてみたら何やら青ざめるような、緑の藻のような粒がいくつかまとまって泡立っているのを見た、おやおやまあこれはなんということだ、麦茶を買ったのが緑茶にでもなったかと感心していたが、いざ水筒に移して勤めにでるにも気が引ける、どこからかまだ持ち合わせていた生存本能などというやつによって、早々に流しに棄ててしまうことを臆することなくできたのは一人暮らし然とした失敗が、失敗で終わらず、危険を回避することへの自己防衛が身についているといえよう、とはいえあの気味の悪さは、下水の繁茂し水面が一帯絨毯のようになっているさまを思い出していまこの文書を記しながら慄然する、とはいえはやくもこの与太者による一人暮らしも四か月は経った、外部研修は終わり、いくつかの友情と教科書的なスキルの存在ーもちろん実践するほどの余裕がいざ仕事を前にするとうまく引き出されない―と喫煙という習慣だけを身に着けた頼りない新入社員はいまだ全貌のつかめない仕事の規模に夜ごと、安アパートの居間で力尽きどざえもんのごとく野垂れては自らのふがいなさなどというものにおびえているのだが、なにもひと月やふた月で仕事がものになってしまうのは超人でない限りそんなことはなく、そうした側面も見越してくれていると信じ、にちにち仕事という喪にしがみつきくらいついている、おかげで前月よりもさらに読書の量は減ったが、なにもすぐに読まないとならないといった必要に迫られることがないので、だらだらとあるいはゆっくりと本を見つめることができるとたいそう呑気に構えている、おかげで図書館に通うのが煩わしくてならないので借りなくなったが、別段自室に図書館を構えているようなものなので困ることはない、食生活に関しては少し早いかもしれぬがそうめんを始めてみたりもしたが、まだ冷凍の冷ごはんがあるのにもう今夜はパスタでいいやよなることが多く、週4,5くらいパスタで夕飯を済ました週もあった、交友関係も歩いていける距離では増えぬが、ネッ友や大学の後輩のコネでつながることがあり、遅らせながら出会いの春をまざまざと感じる、給料がはいればついつい来月までにいくら残しておいて口座の金額をかこさいこうにしたろう、などという真面目なのか不真面目なのか、ただの倹約家か知らんが、そんな気を起こしているくせにおろしてある金を数えて電車を乗り継いでまで喫茶店で煙草を吸うことを週末の楽しみにしていることもあった、今日の退勤後なんかは、会社のパソコンのアップデートによって表示されるようになった天気および気温に影響を受け体感温度が5割増しに気持ち上がったからバニラシェイクを購った、SサイズではなくMサイズである、学生の自分はそれこそ手を出さなかったサイズである、どこか自立においてこうした責任相応に好きなものを取れるのは幸福なことだろう……、このごろは上の住人は男を引き込んでおらず軽快な馬鹿笑いも耳にしない……

便器と鼻うがいと吐くほどの煙(一人暮らし3ヶ月目の所感)

 ひとり暮らしを始めて、ついてしまった生活の癖のひとつにトイレをしながら歯を磨くということである。一種の時短のように聴こえはいいが、私の住まいの間取りが関係している。まあ排水設備の関係上、洗面所とトイレが近いなんて決まりきったことだがトイレの戸が来る前に洗面所が視界に入る。ノブを掴む前に歯磨き粉が掴めるのだ。いまこのテクストの前半を帰省した実家のトイレで書き始めたが、脱糞をかましながら口内を磨くというのは奇怪なダブルタスクだが、まるで連結した一つの工場のラインのように整合性の取れた作業と化すなら優しい者だが、言うまでもなくどちらかが疎かになるのは目に見えている。屁をすることをどこか無意識のうちに家の外で我慢してしまうことが社会人になって増えた気がするが、これが自室までに追いついてきて、途端にこれが屁なのか今まさにという間の便意なのか判別がつかず、とりあえず便所へ駆け込むなどというこの歳に沿わない有様である。屁が弱々しくはみ出れば安堵するが、だばだばと社会然とした責任に腹を悩ませば途端に決壊する場合には、脆弱な臓物がずきずき憎い。ともあれ屁が間抜けに噴き出しただけでは笑うが、まてよと思い返してこれは実に危うい、ある種の幼児退行なるものではないのか、いわば御不浄というものは生来人々が成していく実に個人的な体験のうち、幼少より極めてゆく普遍的な行為であり、それが人間の尊厳の最低限のマナーとして確立されている、いわば常識の範囲内の事柄である。ビルがお天道様に突き出るおっかない街のど真ん中で、路上めがけて一発仕込む輩はいない。とはいえ屁は屁である。不可抗力である。祖父やその年頃の人間になっていくと、長年の苦労と経験の賜物か、たかが屁を吹くことになんら恥じらいも周囲の目もへっちゃら(屁っちゃら)なのか、どこだろうが構わず軽快な音声を鳴らすものだが、何故私のような小童は恐れることがあろうか、確かに笑われてしまうのはともかくとして、我慢することかと首を傾げる。いわゆる幼児期に親が心底手を焼いたであろうトイレトレーニングなるものが、あるときを境にひとつまたひとつと何か別の問題となって再来しているのではなかろうかと言う不安があるのである。これは年頃の子供たちが自尊心のために学校にいる間は大便に行かぬようなものに近いのだろうか。この問題は身体的構造上、不健康だという指摘もあるが、たったひとつの生理的行動が以後の学習生活における著しい弊害であるいじめに発展するなんぞというのは実に子供が考えることなんぞ愚かで純情だ。排泄物に対しての著しい潔癖感を保つことができる、これを最低限の自分たちの水準としているのだ。一般にもそうだが、大便のことなんぞをクソなどと言い換えるよりも、酷い有様、状況に対してクソと吐き棄ててその語彙に「見立て」を与える場合が多い現代において、口から「うんこー、うんこー、うんこー」と言っていた大学の同級生は素晴らしく爽やかに見えた。彼の場合は土地の方言で実質クソの見立てと同じニュアンスなのだが、クソが発生するというのはエントロピー増大の法則における物体の最終到達地点のひとつの例であって、あるいはミハイル・バフチンラブレー論で取り上げたとかいうグロテスク・リアリズムにも話を伸ばせるだろう。(このラブレー論は未読だが、それに接近した創作論を展開した大江健三郎「小説の方法」という本がある)クソリアリズムという言葉と同義なのか一時期考えた頃もあった。この語句をどこで見聞きしたかといえばアニメ「星のカービィ」である。

https://youtu.be/ltVRAwPm64k

 デデデ大王プププランドの広場で行われた写生大会、そしてその展覧会を台無しにしたあと、美術館を立ち上げ、自らの力作を国民に知らしめたさい、カービィなどの一部キャラクターが脱糞する姿をゆらめくタッチで記している。これをデデデ大王は「クソリアリズム」と称していたが、上級国民の上級国民特有の超越性、あるいは投企性は裸の王様に代表されるように滑稽じみた戯画を浮き彫りにするものだ。これは常田大輝がクソだとかゴミだとかカスだとか自分のことを過小評価する彼の芸術性とは雲泥の差であり、見立てとして扱われる「クソ」をデデデ大王は飛び抜けてしまった。「クソ」は「口から出される=発話される」ものではなく、「尻の穴からだされるもの」というリアリズムを持ち寄って現実に近づくアプローチをとったのだ。

https://youtu.be/8QW7WBTzklE

 と、まあ少々生理的な話をつらつら脱線して書き出しに始めた訳だが、屁と便意の判別がつかないというのは物事の分別がつかないことなのか、屁をところ構わず吹くものに物事の分別がついているのかわからぬが、幼少の頃から悩まされてきた生理的な事柄において、季節系の鼻炎である。

 このいまはじまった段落から書き出している分でもうゴールデンウィーク後の最初の土日なので、もう一週間は経つのだが、4月29日から突然として鼻水が止まらなくなり、翌日から二日間の出勤では何度も鼻をかむハメになった。風邪かとうとうと慄いたが熱はなく、しかし喉もやや詰まりげな覚えがある。とうとうなったか?と不安になりながらも夕方日が沈みかけの中実家に帰省した。帰省と言っても県内の移動だし下道で1時間ほどで着いてしまう。それからの三日間鼻水が止まらなかった。だんだんだるくもなるし、引越して間もないころにゴールデンウィークの帰省では部屋を片付けると言う話をしていたにも関わらず、結局のところ不要な溜まった書類を紐で結ぶので精一杯だった。読書も4、5冊半は持っていったのに読めたのはウィリアム・ブレイクの詩集のみである。5月4日に某大手S薬局にて症状を常勤されている医者(なのかわからんが)に季節性の鼻炎、まあいわゆる寒暖差アレルギーによる鼻の炎症だと指摘され、風邪薬ではなく鼻炎にかかわる薬と鼻うがいなるものを勧められた。鼻うがいといえば今田耕司が出演しているCMでお馴染みのアレである。片方の穴に器具を差し込み、注入した洗浄液が鼻の奥に伝わり逆の鼻の穴から垂れていく衝撃的な映像を実家の茶の間で見たことがある。

https://youtu.be/Sqk2NT4zBag

 実際にやってみるとこれがおかしくってならない。軌道を確保するためか鼻に差し込んで溶液を押し込む際、「あ〜〜」と発話しないといけないのだが、これがまたマヌケな感じがして笑えてくるのだ。愉快。「あ〜〜」と言ってる間に口の奥からしょっぱいものが垂れ込んできて突っ込んでいない方の穴からと一緒にダバダバと溶液が垂れてくるのである。だんだんとその溶液は鼻水を引き連れていくので体外に排出されるとそれらの老廃物を尾に巻きつけてゆく。わたしはひととおり二つの穴に施しを終えるとティッシューを二、三枚摘んで鼻を拭くついでにちぃーーっとかむ。すると鼻の奥にいたドン達がその輪郭を曝け出してくるのである。喉の不快感というのは結局は鼻水が喉までに垂れているから、そうS薬局の医者は言っていたが、なるほど鼻炎薬と併用してこれらの施しを行うとみるみる喉の痛みが失せた。痰もでなくなったし、だるさも消え失せたのである。これがコロナであれば困ったものだが、コロナなのかわからんが、咳は出ないし、猛烈な痛みのようなものを身体中に感じたり、肺が痛むような思いもない。やはり毎年恒例の鼻炎だったらしい。ただ今年はややシガーに手をつけすぎたかもしれん。研修先の同じ教室の受講仲間の何人かが毎時間喫煙所に集まるベビースモーカーがいて、週に一度シガーな私がみるみるうちに紫煙に身を絡ませるマネの面白さを覚えてしまった。成人もとっくに過ぎているし、あとは荒むか花咲くか知らぬ凡庸な一般男性とするなら、健康志向を意識して嫌煙すべきという意見もあるだろうが、近年、いや往年の問題である喫煙者と非喫煙者、もっといえば嫌煙家による喫煙者への迫害行為なんぞは一種のレイシズムさえ覚えている私なので、とはいえ両者の言い分を聞いてみたいという実に自由主義的な前景を言い訳にしてシガーいてこます。筒井康隆の「最後の喫煙者」のようなディストピアな形に今後ならなからばいいのだが、喫煙者の集まりというのには、どこか喫煙行為に対する後ろめたさというか、ワルというか、なにかそうしたものを共有する、共犯関係というか、そうした連帯がある。オタクくんがカードゲームショップに入り浸るよりもなぜか絵になる。それは往年の喫煙のイメージが映画などの映像媒体のフィクションに刷り込まれてきたからなのだろう。

 私に煙草を教えた大学時代の人間とはもうやりとりができないだろうが失恋の勢いで煙草を吸うともうやめられないと言われたが、私が今なぜシガーをかますのかそうした連帯の状況を興味深くみえたからだろう。これが休日の、近隣に誰も知り合いがいない天涯孤独の一人暮らしをかましている街で、コンビニまで歩いてそこの喫煙スペースでかますシガーとは大違いなのだ。今度の水曜でこの研修が一応終わってしまうのだが、私はこの先そうした連帯をどこかで抱けるのかわからない。愛煙家の彼女なんてできたら素敵かしらなんて夢みがちな乙男みたいな野暮な妄想はおいておいて、少し前にジッポライターを買わされ、まんまと縁を切られたヒモみたいな女のことを思い出した。やっぱり私はどうにも人間不信のきらいがどこかまだまだ抜け切れていないらしいので、恋愛とかいうピンク色の世界はもうしばらく休業しておこうと考えるのであった。

 部屋でしてしまったらもうおしまいなので、わざわざコンビニまで歩きに行く。気晴らしにもなるので良い。来週から会社に戻れるが、本数は先週よりうんと減るだろう。今夜も上の階の人間の弾けた笑い声が突然響く。

 

 

対象の輪郭

このごろブログがご無沙汰なのだが4月に入ってから一日一個載せたらツヨくない?なんて浅はかなことを考えていた私は馬鹿で、社会人ってドチャクソ慌ただしい生物だって知らんかったわ、まだまだ先っちょだけ入れたくらいのヒヨッコが何を言うとるんや社会なめとんかいななんてドヤされてニコニコ過ごしているのだが、ところで書き出しの一文まだ末尾来らんのこりゃ悪い癖でありまして、だから一向に人に読まれる文章が書けない訳なんだが、書けない書けないという先から文字を並べていますが、とまあこのように適当に文章を繋げては語尾をバカスカバラバラにしてみて悪文でお気持ち表明をしていても仕方ないが毎日必要に駆られて文章を書き起こすなどを研修で行なっている。丸一日座学とかで受けた内容にたいしての感想とか気づきとかを600字くらいかな?原稿用紙1.5枚もないのかな、そのくらい書かされている。そういうわけで2週間くらいで朝と帰り二つでそれを2枚、つまりはだいたい1200字、いまパッと受けてきた日数を数えて原稿用紙51枚分に相当する分量を書き殴っていたことになる。うわ、短編書けたやん。まあ分量の話だけで言えばそんだけなんだけど、時間制限があり、せいぜい1回20分もないんだったか?何を書くか考えてそれを文章を書いていたらかなりキツイだろうね〜、社会人ってそういう力が求められているのかわからないが大学時代は原稿用紙大好き人間(ハート)でマス目を見るだけで鼻血を噴き出して目をとろんとろんにしていた異常性癖の私でも20分で上記のような順序であくびをするように当たり前に600字毎日書けるのか疑問だ。内容はどうも研修の運営側に読まれているらしいが、制限時間内に決められた分量まで埋めれば良いらしく、私は構成そっちのけで議題を読んだ上で浮かぶ想念を書きながるというスタイルを取っている。まえにブログにリンクを載せたことがあるけど「シュルレアリスム宣言」で有名なアンドレ・ブルトンが発明した「自動記述」に近い。これは正確には思考が関与してくる前に手を動かし、深層心理を浮き彫りにしていくという、たしかフロイト精神分析の影響が強い手法だったと記憶している。宗教の次に精神分析フロイトの理論は毛嫌いしてる私だが、シュルレアリスムという界隈を産んだ要因として頭は上がらない。とはいえ深層心理を深く乗り込んでみれば気が狂ってしまうらしい。私は大学の頃からもうすでにどうかしていたし、体裁を崩すことばかり考えているどうしようもない人間だから、書いているうちに書きたいものが繋がっていくという、即席芝居みたいなマネをしているわけ。自分の性格や遠い記憶をひきづりだして書き出しに投げつけてそこから植物が根を張るようにどうにか毎度課せられるお題のようなものに繋げていく。二週間も同じ手法をしていると飽きてきた。文体がクセになってしまって同じような書き出ししかできなくなるという経験は散々してきた。高橋源一郎だったが二日書くのをやめると文体はリセットされちゃうとかどこかで言ってた気がするけど私は土日挟もうが無駄らしい。書き殴るという即席作業は、体裁を整えたり筋道をそのぐちゃぐちゃのなかに見出せばちっとはまともになるかもしれねえなあみたいなものが書けた時もある。時々時間を余らせてマス目を埋めてしまうと、このままこの文体が体に残ってしまうのではないかと不安になる。ちょっと手法を変えてみたくなる。全文カタカナ表記にしてみるとか、横書きを縦書きにしてみるとか、読点で繋いで長い長い一文にしてしまうとか、あるいは倒置法を連発してみたり……

大学時代に書き散らした小説もしっかりいちから書き直すなんてことをしたのはふたつみっつくらいだったと思うけど、書き直しはキリがない。丸山健二保坂和志も言ってた。清水良典も言ってた。完璧がない、というよりかは誰にもそれがわからないし、完璧な尺度がないのがテクストを編む面白さであって、どこまでその頂にちかづけるかが面白いのだろうけど、推敲がほぼ許されない時間という壁に推敲地獄へ落ちないように守ってもらっていると私は少々感謝しつつ、いつか何かどうにかしてうまくここで考えたことを、その残滓だけでも良いから活用して小説なり随想なりに落とし込めたらなと考えている。この精緻さとは程遠い粗い作業は、彫刻にたとえれば、丸太のうちに描きたい対象の輪郭を見出すのに近いかもしれない。これまでは漠然と書きたいものを書きたいように書いていたけどどこかでそれが煮詰まってしまった。丸太から輪郭を見出す、素材準備に勤しんだ方がいいかもしれない。

 

以下参考文献

 

 

 

手段としての知識、手段としての継続

 野暮な人間をしている私だけども、知識を漠然とシャワー状に浴びるほど容量を持ち合わせた人間でもない。知識を溜め込む容量があったとしても、処理能力は人それぞれだろうが、つくづくそれは大学受験だとかの試験ごとで個々人で自らの限界を覚えただろう。いわば暗記などの積み込み型の学習というのは無様なハリボテで、実際は問題を解決するハウツーのようなものを覚えて応用していくというスタイルの方が、処理能力を早める方ができるし、暗記などの時間をかけずに済む。人間の記憶力なんてものに当てにはしていないのだが、きっとどんなことにも法則性はあるのだから(少なくとも人間が発見したもののなかでは)それを叩き込むことが案外近道だったりする。知識が目的になってしまっては案外いけないのかもしれないが、たとえば小説を読むために漢字を覚えるのか、漢字を覚えるために小説を読むのか、言葉を覚えるために小説を書くのか、小説を書くために言葉を覚える、言葉を覚えるためにその都度辞書を引くのか、どっちが目的でどっちが手段か、鶏が先か卵が先かよくわからないどうどう巡りになってきたが、ようは目的のための手段として知識を溜め込むということのほうが、視野は狭まるが、専門的な分野に自らを切り込むのにはごくごく当たり前のことだと言っていい。私は大学時代、文学にのめり込みだったし、卒論だとかサークルの部誌だとかに、いかにして小説を論じたり書いたりすることに、手段としての方法論を蓄えた知識を基に実験していった。小説を書くことに関していえば正攻法で書くのがつまらなかったというのもあるが、逆に言えば正攻法で書かない方法=手段としての知識、つまりは古今東西のさまざまな書き方書かれ方をできるだけ触れることを行なった。論を組み立てる際にも目指すべき結論に行き着くまでのアプローチ=手段として、文学論だけではなく、他の分野の理論を取り込むという手立てをした。

 社会人になって三日目だが、私が就職したところは大雑把な広い分野をめいいっぱい行うようなところではもちろんなく、むしろニッチな、専門的なかなりマニアックとも取れかねない分野での深い仕事をすることになった。製造業界のほとんどはそういうものだろうが、この仕事をするには少なくとも規則や規定、その業界にしか通じない世界、ましてや社内で交わされている業務上の会話でさえ、異国に飛ばされたようなら心持ちを覚える、そんな環境に自らを放り込むことになった。単純に面白そう!って気持ちと、冒頭で書いたような手段としての知識を溜め込み、それを扱うという私の行いがどうも目に止まったらしい。

 自分の得意なあるいは好きな、趣味としてつねに追いかけてきた分野を仕事にできるほど、世の中簡単ではないが、すくなくともそれの手段がこのように活用できる場を発見できたという点で、私の就職活動は案外うまく行ったんじゃないかなと思うのだが、「その仕事をするにはその手段としての知識を蓄える必要がある」という課題は明白だった。案件一つ一つが独自性を持ち、全く同じものは二度と作らない、つねにイチからスタートという業務にいずれ私は携わるだろう。ずはその仕事をこなすための知識を蓄える必要がある。

 高校や大学など、学生の頃は明確な締め切りがあった。まあ仕事にも納期という事柄はあるが、高校も大学も短い。三年や四年で次を決めないといけない、そうした緊迫感と怠惰な時間が共存していた。猶予期間である。初めの一年のうちから次の飛ぶ場所を決めるほど意識の高い人間でもなかったから、だいたい最後の一年で見る前に飛べ!と言わんばかりの自由形で飛び出してうまく行っただけである。案外そんなものが人生なのだろうけど、社会人はそうした転換期というものにルールがない。壊れてしまったり、会社をクビになったり、世の中がめちゃくちゃになっていかない限り、しっかり仕事をしていけば定年までずっと続くのである。まだ始まって三日しか経っていないのにまだ出来ないのか!なんてことはないのだが、これが2年も3年も変わらずじゃマズイのだろうけど、少なくとも65まで挑み続けないといけない社会人として、手段としての知識を継続して吸収していかないといけない。蓄積したものを応用し活用する、そうした反復が右肩上がりの差異を生むのだろう。

 なんのために本を読んでいるの、と本を普段読まないでいる人間から聞かれたとき、わたしはあれなんでだっけってなる前に生体活動だからとふざけた答えをだしていたが、結局は自分が死なないための手段として継続していることで、言い方を変えれば本によって生きながらえさせられていると言っていい。まだ未読の本があれだけある、鏡花全集がまだほぼ手付かずで残っている。翻訳されていないDavid Foster Wallace「Infinite Jest」がある、読むのに時間がかかりそうな長い本「失われた時を求めて」や青年のうちに読んでおきたい「青年の環」や「自由への道」がある。何度読んでもわからない本がある。それだけでもまだ生きて、読んでおかねばと思える本に出会えている。これは幸運なことなのか不運ことなのかわからない。「Infinit Jest」を読むには少なくとも英語の基礎知識を持っていないと長文読解もきっとままならない。高校の頃に洋書を読むという目的を持って英語の授業を手段として取り組んでいたらもう少しサクサク進むのかもしれないが、目的意識を明確にした方が知識の巡りも継続の意欲もうんと違う。案外いまからやるしかない、そうおもって手段として取り組むことを楽しむしかない。

  

 

わたしに残された特別な時間の終わり(2ヶ月ひとり暮らし総括)

 軒下からピアノ線!!!と言いたげなもったいぶらない朝があるが、わたしはこのごろ6時きっかりに目が覚める体になった。なぜかはわからない。体内時計とかいうものかしらん?知らぬ。アラームで6時に起床していた習慣はとうの昔にすぎて、大学時代のおよそ半分は7時と8時の狭間で目が覚めて、実家暮らしだったから親が出勤するかしないかでリビングに現れるので良い目をされなかった。もっと早く起きてこいとよく言われたものだが、早く起きたって支度で右往左往する親や妹の、洗面所やトイレの邪魔をしては結局のところほとぼりが冷めるまでの間、布団に居残っていたほうが双方に良い。とはいえ朝に弱いわけではなく強すぎるわけではなく、だったらリビングやらトイレやら洗面のために現れず、自室で朝読書やら英語の勉強でも少し齧って、空いてからすらすらと階下に下りて自分の番を滞りなく行えば時間も有意義に扱えたのだろうが、億劫な人間なのでその習慣はとうとうできぬままだった。そんな暮らしをたしか二限から場合によっては三限からの授業ばかりをとっていた大学二年から三年を過ごした。まだ大学に行けただけ良い。三年の後期になっていくとあらかた取りたい授業も無くなってしまう。のんびりした堕落した生活の始まりである。大学入試のために、夜更かしができぬからと22時には就寝し、朝3時に起きて勉強をしていた高3の頃のわたしは大変偉い。めちゃくちゃ偉い。すげえ偉い。そう今でもあの頃を思い出すとあの頃を超えることはできないとまだ22なのにそう感じる。とはいえ結局6時に起きてしまう。もう少しでわたしは勤めに行く身分を幸なことに与えられ、晴れて社会人にズブズブと足を踏み入れていくわけなのだが、案外この6時起きは好都合である。このまま習慣化し続けてくれれば良い。おまけに勉強を軽くでも良いから毎日できたらなおよし!とはいえ大学や高校時代と違い、実家で暮らしているわけではない。生活は自ら回していく。朝食は大学の頃からすでに並んであるものを適当に摂っていたが、いまでは調達しなくてはならないし、毎日とまでは行かぬとも洗濯物を干さねばなるまい。三日に一度ないしは四日、天候とフムフムと相談し、やむを得ない場合は部屋干しをかます

 そうした感じでかれこれふた月にそろそろこのような、ひとり暮らしをこなしてきたものだが、案外やってみればなんとかなる、最低限の生活水準があるらしい。作り置きをして誤魔化してはいるが毎日自炊はしているし、晴れた日を狙い目に定期的に掃除もするし、ゴミ出しも恥ずかしくない量になればしっかりと出すようにしている。

 しかしこの2ヶ月と言うのはまだ大学生という肩書きがあり、というか卒論も終了し、卒業という終わりが約束された状態で、まるで岡田利規のあの戯曲(であり小説)の「わたしたちに許された特別な時間の終わり」際であった。

この表現がわたしは大変好みで、この一年は何度も反復したものだが、実際読んだのは昨年の秋で、失恋、というかなんか良い感じの都合のいい仲の子に一方的に関係を切られて5年ぶりくらいに落ち込んで病んでどうしようもなくなって頼った友達と服や靴を買いに行った日に、たまたまその集合する前に行ったブックオフで買ったときである。わたしはそれまでその戯曲を大学の嫌いな講師が授業で扱っていたり、あるいは保坂和志の小説論で紹介されたりして、純粋に読んでみたかった作品だっただけあって、中古でしかもう出回ってない故(注:戯曲版だったらたしか白水社の新装版がある)ずっと探していた。棚でばったり出会った時、「そうやね、もう特別な時間、終わるね」なんて声をかけて意気投合してルンルンとレジに連れて行ったものだ。友人と集合するのに一悶着があり、そのかわりにスタバで奢ってもらったんだかどうだったあって、買った本を見せびらかしたら、そのうちのひとりが戯曲のゼミにいたからその作品を知っていた。DVDで見たらしい。羨ましい。

 確かこの時に、半年遅れの誕生日プレゼントをいただいた。Tame Impalaのアルバム、「Currents」それから「Innerspeaker」である。Amazonギフトで送ってくれる話だったが、設定ができてなくって、贈り主の自宅に届いてしまって、それを渡すことをその集まりの日は兼ねていた。いまこの段落を書いている間に「Currents」の「Let It Happen」を聞いていて、それで思い出した。不思議な偶然だ。Tame Impalaは田舎のTSUTAYAにはレンタルで置いてなくて、仕方なく音源を買おうとしていたがなぜかCDで物質として確保していたい気持ちもあって、かと言って出費として払うにはなぜか手が伸びなかったから、その子に誕生日プレゼント何がいい?って連絡をもらって即答したんだった。すっかりでも忘れていた。

 すぐには読めない本だとは感じていた。

 その集まりで諸々それぞれの欲しいものがロフトだとかABCマートとかで済んで、ZARAを覗いてあー、またメンズ服が追いやられてるわ、え?もうほとんどないじゃん、笑いながら見て、それから休憩に向かったコメダ喫茶でコーヒーを啜りながらメンバーのひとりの卒業制作について意見を出し合うことになった。私と国文の友人は貴重な喫煙可の喫茶店紫煙を燻らせながら、同じように指先に煙を吐き出すものを挟み込む他のテーブルの客に色目を使いながらタバコが苦手な相談相手のレジュメに目を通していた。ヤニクラを起こしながらも煙で燻すようにコーヒーカップの中に煙を吹き出して飲んだ。たしか国文くんからキャスターの赤色をもらったんだかよく覚えていないが、とてもガンっと来てしまい、レジュメの文字が揺れて見えていた。国文くんが読んでいる間に手持ち無沙汰な私はそこで「わたしたちに許された特別な時間の終わり」の収録作「三月の5日間」の冒頭部分を読んでみた。そしてすぐ、これは簡単には読めないなと思い、すぐ閉じた。私はニヤニヤしていたと思う。

 小説版「三月の5日間」は地下鉄だったかの電車内から始まる。乗客の視点を語りは滑り、掠め取るように描いていく。視点を乗り移るという異様さを覚えるはずが、字面だけ追っていくとその奇妙さに一瞬気づかないかもしれない。舞台版だとたしか2人の男が体を揺らしながら話し合い、六本木だったかのライブハウスに向かい、それからなんちゃら…という概要が彼らの伝聞から彼らの視点、彼ら自身という2人に凝縮された出来事の捉え方をされていたと思う(これは嫌いだった講師の授業で見たdvd)

 ぼんやりとラブホテルに5日間も居座って、ひたすらまぐわっていたら飽きてしまいそうだが、もちろんそんなことも書かれていた気がする。半日おおきなベッドで横たわって映画を見て、ムードを作って、それなりに動けば2回目でもううんざりしてくる。こうしたホテルの業界の話によれば近年はさっさとするだけして帰る場合が多いらしい。コロナ禍ということもあるだろうけれども。この年の夏に一度半日いた時は5回か6回くらい停電した。暑さのせいか整備がおかしいのか知らないがしょっちゅうエアコンは止まり、テレビが消え、見ていた映画が寸断され、いちいち初めから再生しないといけなかった。精算機のクレジット計が使えず、お金を相手に払ってもらった。まあもうその人とは会うことはないのだが。

 カネコアヤノの曲「Home Alone」で、「この暮らしにも、ようやく慣れてきた」って歌詞があるけど、慣れてきてはいるが時々猛烈な虚無感に襲われる。四月から仕事が毎日あるような日々になればそんな余裕さえないのだろうけど、それは漠然とした不安、つまりは状況の変化に適応できるかだったり、経済状況、現時点の生活水準をキープできるか、自分がだんだん仕事に呑まれるのか、自分が感じる心地の良い自由がよくわからないなどなど…… そうしたものに思考が粘着質になってくると塞ぎ込んでしまい部屋から出られなくなるから強制的に買い物とか散歩に出掛けてみたりした。「行き場のない花束のために」という出かける理由をカネコアヤノは載せているが、次の節で「いつもどおりだよ/外に出てみる/せっかくの休みでも/君がいないと暇だ/ポケットにいれたよ 刺激と安心/大丈夫な気がしてる」とあることから、浪費という嗜みが安楽をもたらすことを歌っているように、私はみえる。今日だって水道の支払いを行くのと提出書類のためにコピー機を使うためにコンビニに向かったが、わざわざ一度に行けば済む用事を持ち物を忘れて二度行くハメになったのも、もしかしたら無意識的に出かける理由を作っているのかもしれない。おまけに二度目に至ってはそのあとスーパーにも寄ってキャベツやら野菜やらを買っている。財布を持って出かけなければいいのだが、浪費というよりかはこの場合生活に必要な蓄えと言ったものだ。ともあれ浪費といえばバイトの帰りに寄れるところにブックオフがあったせいでよく散財していたが、あれを浪費と考えてしまうのか、わたしは積読という娯楽の貯蓄をしていたと考えているから、一種の投資に違いない。嵩張るけどあれだけの本が蔵書として積み上がってしまえば、一冊をいちにちで読み終えたとしても4、5年かかるのではないだろうか。とてもそんなことができる本ばかりではないし、全集とかならひょっとしたら一冊半月以上はかかってしまうだろう。わたしは浪費をしたことがあるのか、と不安になる。果物、スーパーのバターマーガリン、チーズ、調味料のコーナーにある創味シャンタンの缶、アイスクリーム、12個しか入っていない冷凍餃子、グラノーラの800g、ビール、料理酒、どれを取っても高く見えてしまい、手が伸びなくなる。意味のない倹約癖だが、高いチーズを買わなくても料理は作れるし、アイスを食べるったって風呂上がりにしてしまうと体が冷めてしまいそうだし、そんなに必要としてないなってどうでも良くなってしまう。

 わたしは多分この特別な時間みたいなものに囚われていて、いきなり裁断機で切り落とされるように、終わってしまうのが嫌で嫌で仕方ないのだろう。できればダラダラと許され続けて欲しいと思っている節がある。けどもう終わってしまうのだ、終わってしまったのだ……