おぺんぺん大学

ざーさんによる本の雑記たちとたまに創作

ぼく(ら)は誰と生きるのか、

 4月のはじめに友人の訃報が流れてきた。亡くなって一月経ってから彼女の友人を名乗る人物が代理で報告していた。彼女とは社会人になって、一人暮らしを始めたころ、ネットのつながりで知り合った。一度も実際に対面で会うことは、これにてなかった訳なのだが、一人暮らし同士自炊を励ましたり、夜の通話をすることもあった。同い年だったし、同じ双子座だったし、共感を持てる部分もあったので、勝手に親近感を抱いていた。

 一人暮らしがかれこれ今年で、3年目になった。つくづく一人でいることが気楽で、もうこのまま一生独り身なんじゃないかと思うようになってきた。会社の人間はみんな世帯があったり実家から通ってる人達が、恋人がいるかで、自分は人付き合いが良くないからかいまだに腹を割って話せる人間が近くにはいない。遠くにだってもういないようなものだ。学生時代の級友も誰とも連絡が取れない。疎遠ということなのか、みんな愛想つかれて気がついたら誰からも返事が来なくなった。ちょっと前に大学のゼミのLINEグループで「みんな元気?」なんて送った時は「要件は何」とぶっきらぼうな返事が来たけど、返事が来ただけマシだろうし、割とよく絡んでた奴に限っては既読もつけてないかもしれない。要するに嫌われていたんだと常々思う。

 ネット絡みの方面でもほとんど自分の言動のせいでそうなったってのもあるのだが、あるフォロワーが島違いの別のフォロワーを頭ごなしに相手には見えないところでカゲ口のように批判しているのをみて、それを指摘してブロックされるってことがちょっと前にあった。デリカシーがないってことなんだろうけど、反省しろなんて言われても、どっちもフォローしてるじぶんの気持ちはどうなるのだろう、まあそんなもん自分のなかで処理しろってことなんだけど、ずいぶん人付き合いが下手くそだなと、小手先の呟きひとつでさえ痛烈に感じる。嫌になる。

 攻撃的な危険な人間というレッテルをどうやらツイッターではされていたりして、どうしてそう思われるのか本人が理解していないあたり、他人から自分がどう見えているのか思われているのかという想像力が自分には明らかに欠けている。さいきん仕事柄で会社外の人と複数人関わることがあって、小さい頃からずっと性質としてある、「知り合って間もないうちから外面をよく見せようとする」癖があいかわらず発揮されて、社内では波風を立てるような言動が目立つ。会社の外は敵だぞと上司に諭されて自分のやってることは何?密偵?どこの立場にいるわけ?なんて野暮なことになっている。プロジェクトの達成のために自分の持ち味を自分なりに活かして進めるとそんなふうな事を言われる。敵にヨイショヨイショして味方に塩を塗るような奴と思われてるかもしれない。課内課外でもそんな感じで同じ課のひとで信用できる人がひとりもいない。みんな正直苦手。口にしないだけでものすごく嫌ってる人も何人もいる。こういう自分の性格の悪さが時々身体からはみ出してることもあるだろうから、向こうからも多分嫌われている。

 本当にこんな感じでこれまで四半世紀生きてきてしまったので、これから信頼できる人間と仲睦まじく生きていくことなんてできるとは思えないし、腹を割って話せる何年来の親友なんて者もできない。私が心を開く相手がいない相手がいないというが、だれもこんな奴の心のうちなんか知りたいとは思わない。表層だけの薄っぺらい奴なのだ。たとえ知り合った人の中で今回みたいに亡くなる人がいても、悲しくて悲しくてとても辛い気持ちになっても、でもその人にとっては遠い赤の他人に近い存在としか思われてなかっただろうから、深く深く傷つくことができるのだろうか。そんなことを考えるような奴なんだ。誰からも画面の隅にかろうじて書かれているモブキャラとしか思われない。良く言いすぎた。書かれてさえいないモブキャラかもしれない。

 というか、こんなことをつらつら考えている画面に書かれていないモブキャラがいるのはキモすぎる。